2020年02月25日
私たちは前に、神が化身となる目的は、善を守り、悪を破壊することであるということを見てきた。だが聖者の使命は全く異なる。彼らにとって、善と悪は同じなのである。まず彼らは悪い行いをしている者を引っ張りあげ、正しい道へと向かわせる。
彼らはバヴァ・サガール(世俗の生活)を破壊するアガスティ1であり、無知の闇を破壊する太陽である。神は聖者の中に住んでいる。実際、彼らは神となんら変わらない。私たちのサイは神の一人であり、帰依者の幸福の為に肉体に降りてきたのだ。最高の知識を持ち、神のオーラに包まれて、彼は全ての存在を等しく愛した。彼は無執着だった。敵も友も、王も貧しいものも、皆彼にとっては同じだった。
彼の勇敢な行為について聞くがよい!帰依者のためであれば、彼は蓄えてある功徳を差し出し、彼らを助けるために常に注意を怠らなかった。だが彼が受け入れるつもりがなければ、帰依者たちは彼には決して近づけなかった。
もしも彼らに対面の時間が回ってこなければ、彼らはババを思い出すことがなく、ババのリーラも彼らの耳には届けられない。ではどうすればババに会うことができるのだろうか?サイババに会いたいと願いながら、彼のマハサマディまでダルシャンを得る機会がなかったという人々もいた。
ババのダルシャンを受けたいと願いながら、それが叶わなかった人は大勢いる。そのように彼を信じる人々がババのリーラについて聞けば、ババのダルシャンを求める彼らの想いはそのリーラによって随分と満たされることだろう。誠に幸運なことにババのダルシャンを受けられたとしても、彼らはそのままずっとそこに留まることができただろうか?そうではない。ババが望まない限り、自らそこへ行くことができ、留まることができたものは誰もいない。ババが許可しさえすれば、彼らは留まることができ、ババから指示があれば彼らはそこを立ち去らねばならなかった。全てババの神の意志に基づいて行われたのである。
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