2024年12月07日 [ガン]
ガン呪縛を解く(P405より抜粋)
ネサーン氏が踏み込んだ医学会のタブーとは、顕微鏡の開発とソマチッド理論の研究だけに留まらず、ガンや難病の画期的な治療法を開発してしまった事だった。
それもネサーンのガン治癒率は極めて簡単で、クスノキの樹液から採取した天然カンファ―(樟脳)を原料に開発した製剤を、鼠径(そけい)リンパに注射してリンパ系に循環させるというものだった。
このカンファ―製剤は「714X]と命名され、大勢の末期ガン患者やエイズ患者に使われていったが、その改善率は驚異的なものだったという。
ネサーンがソマチッド理論に基づいて追及したガン治癒法とは、異形化したソマチッドを健全な元の状態に戻すことであり、その為に有効だったのがクスノキの樹液から作ったカンファ―製剤であったのである。
もっとも、ネサーンはいきなりこの製剤に行きついたわけではない。まず1940年代に抗発酵性の特質を組み込んだ製剤(GN-24)を開発し、これはネサーンの義弟を末期の胃がんから救い出すなど大きな成果をあげることが出来た。
続いて、さらに治療効果の高い血清「アナブラスト」を作り出し、「余命1週間」と宣告された半昏睡状態の乳がん患者を見事に完治させたりもした。
このように成功事例が増えるにつれ、ネサーンはフランス医師会から睨まれるようになり、不当な理由で二度も法廷に呼び出された。そして多額の罰金の他、研究室は閉鎖され、器具類も没収、その果てにネサーンはコルシカ島に移らざるをえなくなった。
だが、そのコルシカ島でも、ネサーンが移住した1週間後には何百人もの患者がネサーンを追って集まってきた。そのことがフランス医師会の怒りを再び爆発させ「取り調べ裁判」が開始された。
それを機にネサーンはカナダに飛び立つが、その出国を手助けしたのはネサーンに「余命1週間」から救われた夫人の夫、フランス最高警察機関の高官だった。ネサーンはガンで苦しむ多くの患者を救った事により、故国フランスを離れなければならなくなったのである。
2に続く
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