2020年07月30日 [難病]
夕べも一晩中大雨が降っていましたが、先ほど避難解除が出ました。ご心配をおかけしましたが、もう大丈夫です。
本題
聖杯とは、キリスト教の儀式に使われる水を入れる容器の事を言い、最後の晩餐の時にイエスの血液を注いだと言う。本当に血かというと違うと思う。何故思うかと言えば、その聖杯に水を入れて祈りを込めると、あらゆる病気を治す水になると言うことから考えるにおいて、伝えたい本質は血液にしろ水にしろ祈りにおいて宇宙エネルギーと繋がり宇宙意志において生命が維持されていると言う意味を伝えるための対機説法ではないだろうか。
また寿命が延ばされると歴史書には書かれている。インドでは聖者の血液を一滴でも皮膚に付けると浄化されると言う。オイルに一滴血液を入れたものは目が眩むほどのエネルギーを放出しあらゆる病気を治すと言う。同じではないか?要するに聖者の血液も体内に蓄えられた水にも神のエネルギーが入っており、そのエネルギーは単に生命を維持するだけではなく、宇宙意識と繋がるエネルギーが入っていると仮定すれば理解できるのであるが、宇宙意識と言うものがわからない。
身体は身体が勝手に動けるものではなく。何かの指示によってはじめて動くことが出来る。年を取ると良く躓くのであるが、身体は段差や石ころがあるのがわかっていても躓く。という事は、目で見たものが瞬時に判断して身体に指示を与えると言う事になるのであるが、その指示をする脳は何かによって動かされている。
これが宇宙意識と呼ばれるものであり、リズムであり信号であると言う事になる。このリズムと信号が心でもある。ゆえに「心が身体を動かす」という事になる。心とは目で見る事は出来なく肉体は目で見る事が出来る。血圧や心臓の鼓動や肺や細胞の動きも検査器械を使えば測ることもできるが、心は測ることが出来ない。
よって目に見えるものや匂うものや聞こえるものは、大義の陰陽で言えば陽と言う事になる。そして目に見えない物を陰と言い。陰は陽を支えている。死後の世界が実態の世界を支えていると言う事になる。ゆえに先祖霊が生きている子孫を支えているのであり、生きている者が先祖の墓に行って、先祖霊を救おうと思う行為はオカシイことになる。墓参りする意味はいつも見守って頂いている先祖にお礼と感謝を伝える為ではないだろうか?
生命は自然の放射線がないと生きてはいけないが、その自然の放射線を支えているのが目に見えない放射線であり、その目に見えないラジウムでない放射線が神と言う事になる。これはとても理解しがたいことであるが、これが聖杯の秘密であり、聖者の血液や水の中にこの目に見えないエネルギーが普通の人より多く蓄えられている事になる。聖杯には、ラジウム等の自然の放射線ではないが、宇宙の意識と繋がる、自然の放射線を支える、ある白いものが練り込まれて作られている。
続きは・・
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