2020年11月19日 [Default]
蝦夷の仇は長崎で討つという言葉がある。蝦夷とは、現世の事で長崎とは、長〜い先であるので来世という事になる。そして人が人を罰すると間違いを犯す可能性があるので、人が裁判で判断してはならないとも言われている。これに関連して「天は二物を与えず」とも言っている。
これらを総合的に考えるにおいて、人間は大きな過ちを犯しながら、短い人生を如何にして楽をするかが先の理論の中で生きている様に思う。例えば、より美しくするために美容整形を行う。美容整形の医師に言わせれば、人が喜ぶことにより心も明るくなるので、人の為になっているという。が神はどう思うのであろうか?
二物を与えずという事は、見かけは醜いが目に見えない部分に美を与えている事になる。人間に生まれた目的が神になる事ならば、現世は神になるための勉強の場であるゆえに、醜い顔を与えられた事にも必ず意味があるはずである。もしくは、前世で絶世の美女であった為に大きな過ちを犯した罰かも知れない。
このように神は、その人が神に近づける為にいろいろと試練を与えているのであるから、それを心ではなくメスを入れて改善するのはご法度ではないだろうか?また中には凄腕の弁護士がいて、神が創った大罪を無罪にする弁護士もいるらしい。
病気もそうであるが、中にはその人の精神や心を鍛える為に創った病気もあると言われている。ゆえに私達ヒーラーは神が創った病気に対しては手も足も出ない。治すのはその人に与えられた目に見えない鎖を外す手伝いだけである。それをうぬぼれて如何なる病気も治す事が出来ると吹聴するヒーラーがいたら大バカ者である。
病気とは、自分(患者)が創り、治すのは自分(患者)しか出来ないのであり、その治し方を教えるのがヒーラーであり、医療者と思っている。病気とは人生の間違いを考え直すきっかけかも知れない。このきっかけは神より与えられたものと考えるなら、安易にメスを入れるべきか神に十分相談すべきであろう。そして、病気の原因を知ったなら悔い改め過去の清算もしなければならない。
過去に置いて罪を犯していない人は一人もこの世には存在していないはずである。神から見れば乞食も学者もどんぐりの背比べに過ぎず、目くそ鼻くそのレベルであろう。それをうぬぼれてはならない。うぬぼれて過ちを繰り返せば来世は乞食が待っているかも知れない。「君子危うきに近寄らず」という言葉もあるので、カルマを積みそうな職業は避けた方が来世は楽に暮らせるかもしれないので、傍を見て自分を卑下する必要もないし、羨む事もないだろう。
神を知る人はかわいそうな職業と思っているかも知れない。美人を見てもうらやむ必要もない。神に与えられた姿を好きになり心を磨けば、いつかは欠点が美点になるものである。それにしても今やらなければならない事は過去世に犯した罪を懺悔する事であろうから「懺悔・懺悔・六根清浄=ざんげ・ざんげ・ろっこんしょうじょう」を唱え罪の清算を少しでもするべきあろうと思うところです。
体験談を頂きました。
今日の霊障に関するブログを拝見しましたが、私にも思い当たることがあります。私もお腹の方で動かされてるような時があったり、甘い物を食べない日が続くと体が暴れ出しそうになり、食べると落ち着きます。良くなろうとすると、また元の悪い状態に戻ってしまいます。
子供も伊勢神宮に行った日の夜に高熱が出て顔が真っ白になって、仰向けでお腹が上下に動いてました。最近は太ももだけ湿疹が出てます。
何か住み着いてしまってるんですね。
私もそちらに行きたいと思っていますが、簡単に決められない状況なので、ぜひ霊障対策のものを作っていただきたいと応援しております。
では。
仙人補足
やはり白砂糖などが入った食べ物は悪魔の手先ですね。縁を切ろうと思えば誘惑で引き戻す。この誘惑をいかにして騙しながら遠ざけるか?今からの課題ですが、「懺悔・懺悔・六根清浄=ざんげ・ざんげ・ろっこんしょうじょう」を唱えながら、霊障グッズの完成をお待ちください。
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