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2021年06月04日 [除霊]

NO245・・・神秘不可思議6

哲学的生き方や宗教や東洋思想を勉強するにおいて頭は混乱するが、これを追及していかなければ、人間に生まれた喜びは一生知ることもできなく、この世を去ることになる。人間に生まれた喜びは「人間界に生まれた」ことと「人間に生まれた目的を知った時」の二つがあると、ある哲学者は述べている。最初の人間に生まれた喜びとは、赤ん坊が知ったのではなく、赤ん坊の魂が知ったわけであり、現実は苦労の連続であるのであるが、ある日あることがきっかけで、人間に生まれた真の喜びを知ることが出来る。が、多くの人は知らないまま、この世を去る。

 「仏法は聞け聞け」という言葉もあるし「門前の小僧」という言葉もある。門前の小僧とは、子供の時からお坊さんになるためにお寺に預けられ下働きの修行僧であるから、師匠の法座に参加することは許されない。これを障子越しに聞いて覚えたという話である。最初はわけがわからなくても「法」に触れることで魂に刻まれていく。法座を聞くときもそうであるが、エネルギーにより睡魔が襲ってきて頭はこっくり、こっくりするのであるが魂は聞いているという。この法座の時に発せられるエネルギーは頭で理解するのではなく、魂が理解するのである。人間には8万4千の毛穴があり、その8万4千の毛穴は法門とも呼ばれ説法の話(エネルギー)は入ってくる。

 これは瞑想も同じで、恰好を人に見せようと行うものではなく、瞑想をおこなうという意識と習慣が重要であり、それにおいて神のエネルギーが注ぎ込み、やがて体は自然に受け入れやすい体制を覚えていくことになる。だから瞑想中に、こっくり、こっくりしても何ら問題はないのであり、習慣付けることが大事なのです。読むことも同じで内容を理解しようと思うのではなく、慣れ親しむことが重要であるのです。内容を理解するのは学者に任せ、私たちは慣れ親しむことを念頭にすることが重要なのです。

 学者もわかっているふりをしているだけで、真の神の教えを理解できるわけはないのです。なぜかわかりますか?神の教えとは人間界とは真逆であり、地位や名誉や自尊心やプライドやお金が邪魔をしてふりをしないと生きていけない仕組みになっているのです。ですから、わかる必要はなく、慣れ親しむことが重要なのです。どっぷり浸かることが重要であるのです。

本題
 またまた難しい語句が出てきますが、理解する必要はなく読むだけで良く、読むことにおいて神を思うことが重要なのです。そのためにわざわざ難しい語句を使っているのです。これを簡単にした解説文を読む人は、頭には入るが魂に刻むことは出来ないのです。

・われ常にここに在って滅せず、方便力によって減不滅ありと見ゆ、いづこの衆生も恭敬(きょうけい)し信じなば、我らの中に現れて無上の法を説く、汝らこれをきかずして只我滅すという、人類は悉く苦海に没在せり、故に我身を現はさずして渇仰せしめ、心恋慕する者に、我現れて法を説く。

・我が神通力かくの如し、われ常に霊鷲山(りょうじゅせん)及びその他に在り、人類は劫末い於いて大火に焼かるるとも、我が霊鷲山は安堵にして天人常に充満す。園林、堂閣種々の宝に荘厳され、天人等打ち技楽(きがく)をなし、曼荼羅華(まんだらげ)を雨ふらして仏及び大衆に散ず

・我が浄土は崩れざるも人類世界は焼けつくして憂怖苦悩に満さる。されど柔和質直なる者は、わが姿見えずとも、我ここに在って法を説くと思へり。

この言葉は、霊鷲山とシャンバラの存在を、至上界(アートミックブレーン)と現実的存在との二意義にまとめられている。

■今回も難しい話でしたが、理解する必要はありません。この文を読んで神の世界を思えばよいのです。これを習慣づけしないと永遠に神の世界を知ることはできなく、人間の一生が台無しになります。お金や地位や名誉が手に入れば幸になれるという妄想の世界が人間界であり、錯覚である事を知ることが、真の幸を手に入れる唯一の方法なのです。

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