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2022年02月12日 [霊障]

の森湯布院 NO394・・・まごころをもった行為

 修行には、日ごろの生活をもって行うものと、古より引き継がれた行法をもって行う修行があるが、天秤と同じく等しく行わなければならない。何十年もインドに行って修行しても、心が貧弱であれば完成することはない。これは、車のアクセルを吹かせながら、ブレーキを踏んでいるようなもので、心の偏りは困ったものである。インドには、サドゥーと呼ばれる修行僧が山のようにいるが、その殆どは世捨て人で現実から逃避した人々である。

 何のことはない、世の仕組みに合わせることが出来ないから、楽な道に逃げて自分の道理を正当化しているようにしか見えない。それでは、生活の中で何を行えばよいのか?

中村天風著 一日一話より

「まごころ」をもった行為

 人間の行為に、まごころのこもってなされるものとその「否」との場合は、その結果の事実のいかんにかかわりなく、その行為の「尊さ」というものに、すこぶる格段の相違がある。



 例えば、他人の危機を救うというような場合、報償を目当てにして人を救ったのと、断然報償などを念頭に置かずに救ったというその行為と事実とは同様であろうとも、その行為の尊さに、全然大きい隔たりがある。



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