2022年06月13日 [聖者]
https://blog.goo.ne.jp/123465_2/e/3d7ab36097a969c9a1178f83c2bc0595" target="_blank">NO636・・・伝法とは
伝法とは、法を伝える意味であり、英語では、イニシエーションという。法とは、何々にするや何々を得るという事であり、多くは、悟りを得る法が多い。ゆえに師を持たず、自分で瞑想やヨーガ―を行い自力で得る場合は、「自力」と言い、非常に長い時間がかかるし、険しく厳しい修行法と言われている。つまり、道先案内人が居ない為に、遭難する場合が多々ある。この遭難とは、悪魔の世界に間違って進むことを指す。
登山が好きな人は理解できるであろうが、山には魔物が住むという。ゆえに猟師や木こりは山の神にお神酒を捧げ入山するのであり、用を足すのも決して大木の側では行わない。この大木にエンジェルは休息していると言われている。神道では100年以上の大木は神として崇められているところから見ても推測できるのであり、この大木を育てているのは、木の枝や木の葉を微生物の働きにおいてできた物質になる。
この微生物の力において出来た物質にカリウムがある。そもそも山の土は太古の昔、宇宙より降り注いだ隕石によって構成されており、この隕石の質が高い所には、大木が育つ。ゆえに神社仏閣を建立する場所はこのようなイヤシロ地が選ばれるのであります。このような土壌から栄養素(特にカリウム)を吸い上がた大木は木の香りを育てる。これでおわかりと思うのですが、山には、微生物とカリウムが充満しており、これらを弱らせる小便や大便を大木の側にしてはいけないのであります。糞尿は、酸性物質であり、木の下に住む微生物を殺す、即ち、神を殺すことになるので、迷いの世界に引き込まれることになるのです。
毎年、春になると山菜取りの人が遭難したとの記事を見かけるようになります。毎年通っている自分の庭のような所でも遭難することがある。多分、何らかの方法を持って神を怒らせたのであろう。糞尿は、新鮮な時は酸性物質であり、酸性物質のPM2,5などが山に降り注ぐと徐々に木は枯れていく。特に松が枯れやすくなる。松は木遍に公(君)と書き、天皇陛下の木とも昔から言われており、国力や健康を計るバロメーターと語り継がれている。
この酸性物質を熟成して、アルカリ性にしなければ野菜も育たない。この熟成は微生物や塩が行う。ゆえに伝法を授かる場合は、塩水で口を注ぎ、腸内を浄化して行われるのであります。また、山に入る前に、お神酒を捧げるのは、米を熟成するのに必要な生きた微生物を与えるためであります。ここまでが、基本で、伝法や入魂はどの様にして行われるか?について述べる事にします。
バッテリーで例えるなら、魂に溜まったエネルギーが軽四のバッテリーの人もいれば、超大型のバッテリーの人もいる。エネルギーの法則で、エネルギーは高い方から低い方へ流れるが定説(笑い)である事は、周知の事実であり、このバッテリーが切れた時、大きなバッテリーからエネルギーを拝借すれば動くようになる。が、その与えた方のバッテリーは減る事になる。
これを一日にまた何日かの間に何十台にも与えたなら、いくら大きなバッテリーでもへたるでありましょう。少なくなれば、補給しなければならない。補給する間がなく、次から次に与えれば最後は、車を動かすことも出なくなる。これが伝法や入魂の仕組みであり、そこに想念の力というものが合体されなければ、ただの儀式に過ぎない。これを空伝法というのであります。
自力は何十年もかけて、バッテリーに溜めていくが、人から移して頂ける「他力」は則、溜まるのであるのですが、スワミの伝法は、自分の魂を削って作る種を、相手の魂に植え込むことをいう。種を魂に植え込んで頂いた人は、それが成長するように魂に栄養を与えなければ、折角植え込んで頂いた芽を出すこともなく枯れてしまうであろう。この栄養を与えることが霊性修行という事になるのです。いくら修行しても種がなければ育たないし、栄養を与えなければ枯れてしまうので、結果が出ない人は誤解するのです。
また種にもいろいろあり、これは師の系譜やレベルの差において多少違う。今生に芽が出る種もあれば来世芽が出る種もある。ゆえに、たとえ来世にしか芽が出ない種であっても、植え込んでいなければ永遠に芽は出ないので、大伝法と言われる極少数のものであってもチャンスを逃がしてはならないのです。種が多いものを小伝法と言い、そこそこある種を中伝法といい。一桁以下の種を植え込んで頂くのを大伝法という。この数は聖者によって異なる。
この種を植え込みやすいようにするのが、前行であり、何日間もマントラを唱える場合もある。そして師は、植え込みやすい時期が来るのをじっと待っている。ゆえにアシュラムで修行している外人の多くは、前行を永遠に行っているのであり、いつ時期が来るかわからいし、永遠に来ないかも知れない。なぜなら?外人には本当の伝法の仕組みを知らないからなのであります。他力行がある事を知らないからなのであります。
私は、スワミのエネルギーが満タンの今がチャンスと思い次から次に伝法を交渉するのです。スワミは、言いました。お前が10年かけて瞑想で得るエネルギーは、私がお前を思って瞑想する1分と同じである。そして、スワミは常々口癖のように言っていたのは、「成功の秘訣は、私の心を射止めることだ。それが出来た一人か二人が成功するであろう」。多くの人は、スワミが言っている意味を理解することが出来ない。
スワミにおべんちゃらを使う事であると思う人もいれば、色仕掛けの人もいた。良い行いや良い言葉遣いだと思っていた人もいた。が、ごく少数の人を除いて普段着で陰ひなたなく、欲を捨て一心に神を見ることをしない。神をご都合で利用する人に可能であろうか?そして、永遠に人間界の善と悪で判断する習性を捨てることが出来ない。スワミが見ているから草むしりをする。人は騙せても、神と自分を騙すことは出来ないのです。言葉は知っているが、間違った事を実行している。神に向かって正しい事を行えば、たとえ、スワミでも怖くなかったのです。真実は神をも動かすことは、苦しい修行で会得したのです。そして、スワミと同じ立ち位置から人を見たら良く見えるのです。人が何と言おうが気にするな。見るのは神だけで良いのです。人間が創った道徳???それが、大ボスのババの生き方ではなかったのですか?
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