2022年06月13日 [聖者]
NO644・・・チケット紛失
ミート&ミートのイニシエーションが終わって数日間アシュラムに滞在した後、正観さんと二人でバンガロールに向かい買い物などして帰国することになった。日本に帰ったら仕事が山積している。社長業とセバの二足のわらじを履きながら、気の里(栃木県にあった合気道の治療法)で行われるスクリーングに年4回行かなければならない多忙な時期であった。
バンガロールに着きホテルで帰りの支度をしている時チケットがない事に気が付く。当時のチケットは今の様にパソコンで打ち出すものではなく。小さな字で注意事項や説明文が書かれた綴りの中の1枚になっていたのであるが、その綴りの中にチケットが入っているとは知らなかったゆえに、チェンナイのホテルで整理しゴミ箱に捨てたのであり、今の今まで気が付かなかったのであります。私の頭の中のチケットは、映画館の入場券などの少し厚めの物と思っていた。
どうにかなるさと、空港カウンターに行くが再発行は出来ないという。そこで困った二人はシンガポール航空の事務所に行き、説明するが、再発行は警察の証明がいるとのことで、近くの警察署に行くと、担当部外だとのことで違う警察に行くように促される。そして、行き説明するが、ここでも担当外だと言う。空港で失くしたのであれば空港警察の担当だから空港に行けと言うが、失くしたのはチェンナイのホテルである。失くしたというより間違って捨てたのであるが、どうも警察はやる気がないようにも見えるし、違う意図があって、たらい回しになっているように直感が働いた。
二度目に行った警察の所長の仕草というか言葉がどうも引っかかる。お前たち、コーヒーと紅茶のどちらが良いか2〜3度聞かれたことが気になる。普通コーヒーとか紅茶を出すだろうか?何か机の引き出しを開けたり、ポケットに指で物を入れる仕草をしたりと、普通と違う仕草だったことを思い出し、もう一度その警察署に行くことにした。そして、どこの警察も駄目だったことを告げると、そうだろうというような顔になり、また、コーヒーか紅茶のどちらが良いか尋ねる。
これは賄賂の隠語だと気が付いた時、2〜3人いた部下を部屋から出るように指示した。これで間違いないと確信した二人は、いくらが相場か分からないので少し多めと思われる1000ルピー(2000円)を小さく折り畳み渡すと、ちらっと見て胸ポケットに入れた。このような事が結構あるのであろうか?紙とペンを出し、それでどうした?ほ〜チケットを失くしたのか?それで空港で失くしたのか?OK,OKと言いながらすらすらと書きていく。こちらのいう事は嘘であろうが、何でも書いてくれる。
後から考えたのであるが、空港事務所と警察はグルではないのだろうか?本当ならシンガポール航空などの信頼のおける航空会社なら事務所で対処出来るであろうに、航空会社と警察の癒着のシステムだと思った。こちらの言う通りに書いて頂ける警察の証明書が何の役に立つだろうか?警察の印鑑一つ押しておけば良いのであり、文書は何でも適当に書いて置けば良いのではと思ったが、それがなければ帰ることが出来ないので賄賂も仕方ない。
このようにインドの公務員は給料が安い故か賄賂だらけである。車の免許がなくても運転する。たまたま検問にあったら賄賂。なんでもワイロ、ワイロ王国である。そして権力は絶大である。別件であろうが、なんであろうが、自分の気分次第やワイロでどうにでもなる国である。日本の常識で考えては、インドでは暮らせない。インドだけでなく、東南アジア全ての国は似たかよったかである。
ゆえに、権力に逆らったら大変になる事は想像できることであります。とにかく日本に帰ることが出来たのでハッピーだと思わなければならない。そして次の準備というか仕掛けを始めなければならない。スワミもインド人だから、インド人になったつもりで、インドの聖者から考えたプログラムを考えなければならない。すべては、ババの指示によるババの為の使命を果たさなければならない。寝る間も惜しんでやらなければならない。
過去を振り返って分かる事であるが、当時は本当に神がかり的に全てが上手く行っていたように思う。4人が一体になって前に進む目に見えない力に操らていたように思う。この4人のチームワークがなければ、とても達成できなかったであろうことが達成できたのは、自分たちの力だけではなく、裏で応援して頂ける力があっての事だったのだろう。神の為に、神から見た行動を常に行えば神は力を貸してくれる。神から離れて私利私欲で行えば流される。
自分の為ではなく、人々の救済を無償で行えば神と一体になれる。これらを通じて確信していく事が、行の成果であり、一番難しく、一番苦しい道が、神と一体になれる事を身をもって掴むことになる。そしてずっと神と共に歩くことが出来る。無償の救済が菩薩様で、無償でなく営利を目的にしたなら流される。表裏一体である。私たちは一生賢明に無償で行って出来上がって行くと、苦労をしない人の口から、ビジネスという言葉が出てくるようになる。これが別れの時で、その場所にいては、自分も腐っていく。一生菩薩行に徹し、神と共に歩きたいものである。スワミはセバ(無償の奉仕)に勝る修行はないと常々言っていた。それを通した結果ババは私の魂の中に安置して頂けた。
苦しい時もあった。人より多くの苦しみを味わった。その時は苦かったが、今は甘く感じる。その苦しい中を4人タッグで乗り越えた。今、思えば史上最高のコンビであった。世界一のコンビだったと思う。「縁とは、会うべき時期に会うべき人に出会うという。偶然ではなく、必然的に出会うという」。ババによる神縁であったと確信しているところです。
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