2022年07月05日 [聖者]
NO657・・・スワミの弟
2022-06-26 | 聖者
スワミの父親は、村に近い大きな町にある工業系の大学の教授をしていた。スワミも弟もその大学の卒業生で、もちろんエリートであり、親は自分の道を進んで頂けると思っていたのだが、スワミは大学生の時から信者がおり、その学校の先生たちの一部を信者であったので、進む道はすでに決めていたのであろう。大学を卒業すると同時に聖者になったわけであるから22歳の聖者誕生であった。
多くの聖者は、聖者になるまで何十年も修行を行い、その内のごく一部が聖者になれるわけであるが、スワミは突然変異としか思えない。何故22歳で開花したのかを考えるにおいて、アヴァターや化身という言葉から考えていかなければ結露にたどり着く事は出来ない。そして、過酷な修行をして物質化を会得した物でもない。この物質化は、使命を果たす道具として神から与えられた解釈すれば謎は解けるのであります。
大宇宙を構成してるエネルギーは意志や意識と言われる思考から発生するエネルギーによって維持がなされている。この意志や意識に欠陥がある者が、もし、その一員に加わったなら、おかしな宇宙の構成になるであろう。その意志は、自然放射線を媒体に人間の意志に通じているなら、その意志に誤りがあるなら、正常な情報をキャッチする事は出来なくなるだろう。神の意志とは、何であるか?それは、愛であるとジーザスもブッダも他の多くの聖者が述べている通りである。
その愛を持って宇宙は正常に巡行され進化している。その一員になるのが人間に生まれた目的であり、生まれぬ先の父や母を思い宇宙の神秘に近づいて行かねばならない。決して金儲けや地位や名誉を求めるために人間界に生かされているのではない。スワミは、その大事な修行をすることなく、聖者になり真理を教えている。ジーザスは脇の下から生まれたとキリスト教は教える。
ブッダは生まれてすぐに立ち上がり7歩歩いて、右手を天にあげ、左手は地を指し「天上天下唯我独尊」と言った。この世に人間以上に尊いものはなく、人間に生まれた幸運を天と地に感謝するという意味であろう。自分が特別だとは言っていないのであるが、キリスト教では、そもそも生まれた境地が一般人とは、違うので私たちはジーザスに縋って生きる以外ないと解釈された。
ブッダは、違う。人間に生まれた者は、天と地を理解し、尊い教えを学ぶものは、全ての人が私のようになれると教えた。その結果が私であると教えた。インドのある聖者に信者が質問をした。「貴方は、神ですか?」と質問した。聖者は答えた「イエス、私は神です。そして、貴方も神です。」と答えた。これが答えである。人間に生まれた以上は神になれると説いた。反対に人間に生まれないと、神にはなれない事を教えている。その尊い、神の一部の魂を持つ人間に生まれた幸運は、自分にはわからないが、他の生物はから見れば、憧れの最終目的である。
人間は、今の仕事が嫌なら転職することも出来るし、日本が嫌いならハワイに住むことも出来る。が、やはり日本に愛着があり、実行する事は難しい。何故なのか?日本は仏教国であり、信仰心が強かった前世では、ブッダの魂の一部が自分の魂と共鳴している事を覚えている。ゆえにどちらかと言えば仏教国であるタイやミャンマーなどのアジア諸国に定年後は移住を考える。もちろん物価の事もあるであろうが、これは肉体の方であり、魂はブッダを求めている。
なら、何故?ヒンドゥ教のインドなのか?ブッダは皇太子の位を捨てバラモン教に入信し、6〜7年間苦行を行った。一日中バラが生い茂るバラのとげの上に裸で寝る修行などをしたが悟る事はできなかった。そして、バラモン教のカースト制度に嫌気を指し、ヒンドゥー教へと導かれるのであるが、やはり何かが違う。当時の時代背景は、イラン民族であるアーリア人がインドの土着宗教を飲み込み拡大をしていた時代である。ゆえにカースト制度が強いバラモン教はヒンドゥ教にも影響を与える。今でもバラモン教の流れを汲む、ヒマラヤのプリーストには、絶対的な権威を保ち続けている。プリ―ストは王より位は高いのである。
ブッダは皇太子の位を投げ出し、人間の苦しみの原因を解放すために修行の道に進んだブッダはカースト制度を容認することは出来なかった。そのブッダは人間はすべて平等であると説いた。泥棒も売春婦も全ては仏の魂を持つ存在であるから平等だと説いた。そして皆、神仏になる資格があると説いた。私のようになれると説いた。その道に到達するには、苦行は必要ないと説いた。真理を学ぶだけで誰もが到達できると説いた。
その真理とは、六道輪廻の鎖から解放されることだと説いた。魂が自由に解き放たれる事だと説いた。その方法を知ってる人に学ぶべきであると説いた。それを知っている人は、神の世界に一度行き、使命の為に下生した人だという事になる。つまり神の化身という事になる。スワミやブッダは、六道輪廻の鎖から解放され、宇宙の塵となり、その集合体の中心の真ん中でなく、中心を守る位置まで到達し、その中心にいる大グルのシルディババから最終の修行の為に、人間界に送り込まれた。そして、多くの誤った物質界に進んでいる人に、神とは一体なんであるかを考えさせる使命で下生させられた。
その宇宙を形成している輪の集団は数えきれないほど存在し、その輪の集合体で宇宙は成り立っている。またその輪の集合体の中心もある。ゆえに肉体から解放された魂は宇宙の塵となり、魂が欲する輪の一員になれば良いのだが、また、その輪の中心があるので、どの道から神を目指そうが行き着く先は皆同じであると言われているのです。あなたが、ヒンドゥ教の道を歩もうが、仏教の道であろうが、アラーの道であろうが、キリストの道であろうが、行き着く先は同じであり、人間に生まれた者は、皆その中心になる権利があると説かれているのです。 だが、一歩踏み出さなければ永遠に到達できないが、いずれ皆、踏み出す時期が訪れるとも言われており、その時期を機が熟した時と言っているのです。
ちょっと長くなりましたので、スワミの弟の運命とスワミの転換期については明日書かせて頂きます。常にそうですが、思いつくままに殴り書きしていますので、後で時間が出来たら漢字の誤りなどを修正致しますので、できれば朝と夕方の二回読んで頂けると理解しやすと思います。参考としてヒーラーとはを合わせてお読み頂ければ理解しやしと思います。
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