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2021年04月27日 [除霊]
NO225・・・正しい思想
正しい思想(神の化身より抜粋)
これには、二つの意味が含まれる。
一つはこうである。われらの心の背後には、崇高審美な思想がある。これが発露しなければ、心は日常平凡な事件で満たされる。心の背後なる崇高審美な思想にジッと一心を振り向けて、思索を誤るな。
心の背後には、大師の思想と力量がある。世間的な生活をしていても、よく注意すれば、大師の思想がひらめきでて、心を占領する。すると妄想も弱い惰性も消え失せて、我は大師すなわち超人と等しい。
もう一つの意味はこうである。偏見、無智の者には正しい思想はない。偏見、無智の故に、根拠のない事を、人のおっかぶせて、その人を悪くいう。それは自分の妄想を、人におっ被せているのである。人間は聖人ではない。だから何かすると過ちはあるものである。一点の誤りをみて、その人を根本的に非難するのは、偏見剛情も亦甚だしい。ニッコリして黙って見ていれば、存外立派な面を現すのが人間というものである。愛は誤りのない思想を生み出す。
続きます。
これには、二つの意味が含まれる。
一つはこうである。われらの心の背後には、崇高審美な思想がある。これが発露しなければ、心は日常平凡な事件で満たされる。心の背後なる崇高審美な思想にジッと一心を振り向けて、思索を誤るな。
心の背後には、大師の思想と力量がある。世間的な生活をしていても、よく注意すれば、大師の思想がひらめきでて、心を占領する。すると妄想も弱い惰性も消え失せて、我は大師すなわち超人と等しい。
もう一つの意味はこうである。偏見、無智の者には正しい思想はない。偏見、無智の故に、根拠のない事を、人のおっかぶせて、その人を悪くいう。それは自分の妄想を、人におっ被せているのである。人間は聖人ではない。だから何かすると過ちはあるものである。一点の誤りをみて、その人を根本的に非難するのは、偏見剛情も亦甚だしい。ニッコリして黙って見ていれば、存外立派な面を現すのが人間というものである。愛は誤りのない思想を生み出す。
続きます。