BLOG
2022年06月13日 [聖者]
NO630・・・快進撃が始まる
NO630・・・快進撃が始まる
私たちは、活動を開始する準備でホールで案内状の作成とプログラムをパソコンに打ち込んでいた。当初スワミが目的としたミラクル聖者の道は、いろいろの方面から検討した結果、無理があると結論が出され、断念することにする。働きながら1週間来てスワミに法の種を魂に入れて頂いても、日本に帰って左脳が全壊すれば、種も枯れてしまうだろうし、そもそもミラクルというものは、神の使命を果たすための道具として与えられるもので、スワミも常々チョコレートと言っていた。
または、フックするという言葉が頻繁に発せられていた。つまり、資本主義経済の仕組みの中で生活している者は、常に生活の向上と無駄な消費の中で生かされているわけだから、霊性修行とは、相反する社会という事になる。つまりミラクルを求めるなら、資本主義経済社会の枠からでなければならない事になる。これが、スワミのいうミラクルはチョコレートであり、フックなのであります。
つまり資本主義経済の枠の中でお金儲けをしたいやより良い生活を望む人たちの間違いを、正すための道具がミラクルという事になる。その人々を神の世界に呼び戻すための道具という事にもなる。「良く手を見てごらん。何もないだろう。と言いながら手を回すと物が出て来る」わあ〜凄い。私もやりたい。」「誰にもできるよ。簡単だよ。」これでフックされる。
そのやりたいと思った人は、何故やりたいのだろうか?それを覚えて何に使うのだろうか?自分の心に聞けばわかるが、お金儲けの道具や名誉や地位を得るために使うであろう。お金や地位や名誉や今まで得た知識をすべて捨て、神の世界に来いと言っているのに、どうして真逆の人に神はミラクルを与えるであろうか?この心がエスカレートしていくと、手品まがいの事を行うようになる。
たとえ、できたとしても、誰が信じるであろうか?心も魂も出来上がってない人が信頼を得ることが出来るであろうか?ヒマラヤで修行するサドゥーは、未開の奥地で修行することにおいて、12年後に何らかの力を神より授かり、里に下りることが許される。12年間であります。その間は1回も里に下りる事は出来ないのであり、また降りる必要のない人がサドゥーなのでありますから、親戚縁者の葬式にもお祝い事にも参加する事は出来ない。であるから、自分の葬式を行い、家族や親戚と絶縁して山に籠るのであるが、その人達でさえ、成功することはない。まして、ミラクルは神から与えられるものであるから、自分が希望するミラクルが与えられる可能性は少ないと、多くのサドゥーは言う。
これでおわかりだろうが、カレスワール、スワミは人々をチョコレート(ミラクル)を使って、神の世界にフックする使命でミラクルを与えられているのです。歯が無くなった人に、クリエーション(創造の力)で歯を創って上げたい。ジーザスの様に目が見えない人を見えるようにしたい。冤罪を晴らしてあげたい。理由はいろいろだが、相反する事を同時に行うという事は、車のアクセルとブレーキを同時に踏むようなことだと、スワミは言う。
お金や名誉を求める人は、相反する事を求めている事になる。ブッダやジーザスやババがどのような環境で生活していたか、考えたことがあるであろうか?家族を持ったことがあるであろうか?高級な家に住み、愛人を囲って贅沢三昧をしていたであろうか?考えれば、わかる事が現生にどっぷり浸かると脳は麻痺して分からなくなる。このような事を目的な人は無駄な時間とお金を使う事になり、どちらも逃がす事になる。
密教の教えに、「金の草鞋、3足履いて里探せ里探せ」という、教えがある。つまり、自分の足で3足の金の草鞋代を使うくらい、努力して里を探せと言う。里とは豪華な神社仏閣や金襴緞子の法衣に包まれた僧の所にあるのではなく、里に隠されているという。インドでも同じことが言い伝えられている。今、あなたが買い物をした店主が法の持ち主かも知れない。今、貴方が追い払った乞食が法者かも知れない。向こうで畑仕事をしている人が法者かも知れない。
老婆が畑仕事を終えた後、川の側の道を歩きながら、家路に着いていた。「おむすび、コロコロおむすびさん」と何度も歌いながら家路に向かっていた。本人は知ってか、知らずかは、わからないが、川の中の小石が歌に合わせてコロコロと調子を取っていたとの、嘘のような本当の世界があるのであります。この農婦はボロをまとって、何の欲もなく、ただ黙々と神が決める天候や災害の中で一生を過ごすのであります。
ババは服装はどうであったろうか?ジーザスはブッダはどうであったろうか?これらから考えてミラクルを募集要項に加える事は邪道であると考え、目的をゴッドヒーラ要請となるのでありますが、参加者の多くは、ミラクルを見ることと、神の側にいるだけで良いという人が大半を占めていた。特に外人には、自分が聖者になる考えはなく、聖者の側にいることが幸せなのであります。
空海さんは、中国の恵果阿闍梨から法を受け継ぎ、日本で数々のミラクルを行い。真言宗という宗派を興した。ジーザスは脇の下から生まれた。西洋人と日本人の違いがここに在るのであります。生まれた次元が違うと教えられる。神は手を合わせて拝むものだと教えられる。ゆえに修行の目的が違うのです。スワミは宗教の奴隷制度を解放すると言っているのに、自分たちが進んで奴隷になっている人たちと混同した中で修行することになるのです。
私たちは、活動を開始する準備でホールで案内状の作成とプログラムをパソコンに打ち込んでいた。当初スワミが目的としたミラクル聖者の道は、いろいろの方面から検討した結果、無理があると結論が出され、断念することにする。働きながら1週間来てスワミに法の種を魂に入れて頂いても、日本に帰って左脳が全壊すれば、種も枯れてしまうだろうし、そもそもミラクルというものは、神の使命を果たすための道具として与えられるもので、スワミも常々チョコレートと言っていた。
または、フックするという言葉が頻繁に発せられていた。つまり、資本主義経済の仕組みの中で生活している者は、常に生活の向上と無駄な消費の中で生かされているわけだから、霊性修行とは、相反する社会という事になる。つまりミラクルを求めるなら、資本主義経済社会の枠からでなければならない事になる。これが、スワミのいうミラクルはチョコレートであり、フックなのであります。
つまり資本主義経済の枠の中でお金儲けをしたいやより良い生活を望む人たちの間違いを、正すための道具がミラクルという事になる。その人々を神の世界に呼び戻すための道具という事にもなる。「良く手を見てごらん。何もないだろう。と言いながら手を回すと物が出て来る」わあ〜凄い。私もやりたい。」「誰にもできるよ。簡単だよ。」これでフックされる。
そのやりたいと思った人は、何故やりたいのだろうか?それを覚えて何に使うのだろうか?自分の心に聞けばわかるが、お金儲けの道具や名誉や地位を得るために使うであろう。お金や地位や名誉や今まで得た知識をすべて捨て、神の世界に来いと言っているのに、どうして真逆の人に神はミラクルを与えるであろうか?この心がエスカレートしていくと、手品まがいの事を行うようになる。
たとえ、できたとしても、誰が信じるであろうか?心も魂も出来上がってない人が信頼を得ることが出来るであろうか?ヒマラヤで修行するサドゥーは、未開の奥地で修行することにおいて、12年後に何らかの力を神より授かり、里に下りることが許される。12年間であります。その間は1回も里に下りる事は出来ないのであり、また降りる必要のない人がサドゥーなのでありますから、親戚縁者の葬式にもお祝い事にも参加する事は出来ない。であるから、自分の葬式を行い、家族や親戚と絶縁して山に籠るのであるが、その人達でさえ、成功することはない。まして、ミラクルは神から与えられるものであるから、自分が希望するミラクルが与えられる可能性は少ないと、多くのサドゥーは言う。
これでおわかりだろうが、カレスワール、スワミは人々をチョコレート(ミラクル)を使って、神の世界にフックする使命でミラクルを与えられているのです。歯が無くなった人に、クリエーション(創造の力)で歯を創って上げたい。ジーザスの様に目が見えない人を見えるようにしたい。冤罪を晴らしてあげたい。理由はいろいろだが、相反する事を同時に行うという事は、車のアクセルとブレーキを同時に踏むようなことだと、スワミは言う。
お金や名誉を求める人は、相反する事を求めている事になる。ブッダやジーザスやババがどのような環境で生活していたか、考えたことがあるであろうか?家族を持ったことがあるであろうか?高級な家に住み、愛人を囲って贅沢三昧をしていたであろうか?考えれば、わかる事が現生にどっぷり浸かると脳は麻痺して分からなくなる。このような事を目的な人は無駄な時間とお金を使う事になり、どちらも逃がす事になる。
密教の教えに、「金の草鞋、3足履いて里探せ里探せ」という、教えがある。つまり、自分の足で3足の金の草鞋代を使うくらい、努力して里を探せと言う。里とは豪華な神社仏閣や金襴緞子の法衣に包まれた僧の所にあるのではなく、里に隠されているという。インドでも同じことが言い伝えられている。今、あなたが買い物をした店主が法の持ち主かも知れない。今、貴方が追い払った乞食が法者かも知れない。向こうで畑仕事をしている人が法者かも知れない。
老婆が畑仕事を終えた後、川の側の道を歩きながら、家路に着いていた。「おむすび、コロコロおむすびさん」と何度も歌いながら家路に向かっていた。本人は知ってか、知らずかは、わからないが、川の中の小石が歌に合わせてコロコロと調子を取っていたとの、嘘のような本当の世界があるのであります。この農婦はボロをまとって、何の欲もなく、ただ黙々と神が決める天候や災害の中で一生を過ごすのであります。
ババは服装はどうであったろうか?ジーザスはブッダはどうであったろうか?これらから考えてミラクルを募集要項に加える事は邪道であると考え、目的をゴッドヒーラ要請となるのでありますが、参加者の多くは、ミラクルを見ることと、神の側にいるだけで良いという人が大半を占めていた。特に外人には、自分が聖者になる考えはなく、聖者の側にいることが幸せなのであります。
空海さんは、中国の恵果阿闍梨から法を受け継ぎ、日本で数々のミラクルを行い。真言宗という宗派を興した。ジーザスは脇の下から生まれた。西洋人と日本人の違いがここに在るのであります。生まれた次元が違うと教えられる。神は手を合わせて拝むものだと教えられる。ゆえに修行の目的が違うのです。スワミは宗教の奴隷制度を解放すると言っているのに、自分たちが進んで奴隷になっている人たちと混同した中で修行することになるのです。