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2022年06月13日 [聖者]
NO631・・・快進撃の始まり2
NO631・・・快進撃の始まり2
ある日外人を含む全員の前で、正観は世界一のヒーラーだとスワミは紹介した。そして、それを案内文の一部に書いた反響は、多くのプロ気功師や治療家は怪訝な振る舞いや態度を表してきた。私も同じく、多少ではあるが嫌悪感を持ったのだが、私たちが同居するドアの前には、連日外人の特に女性の順番待ちである。一部の女性は、正観さんにドネーションを渡そうとするが、正観は、余りうれしそうな顔をしない。
健ちゃん、僕なお金をもらうより、カップラーメンや食べ物のほうが嬉しいんや。1000円よりカップラーメン1個の方が嬉しいや。そしてある時は・・・アシュラムを訪れる多くの日本人が・・・・正観さん、正観さんといって食べ物の差し入れをしてくれる夢を見たという。これは暗示的に私にそのようにしてくれと言っているのだが、リーダー特権を使うべきでないと、聞いて聞かないふりをするが、一回だけ皆さんにお願いした時がある。
また、ある時、私は急にスワミの呼び出しを受け、食べかけたカップラーメンをそのままにし、部屋に戻った時は伸びきっていた。そのラーメンを何度も何度も覗き込み、もったいないな〜。もったいないな〜、こんな事を誰がするんかな〜と正観さんは言っていた。
この正観さんが世界一のヒーラーになったのです。というより、そのような正観さんだからこそ、世界一のヒーラーになれたのでしょう。スワミに知り合って新人伝法を授かって1〜2年後の事であります。それまでは、仏教寺(密教)の師匠の付き人しかしてない。治療に関しては素人の正観さんがなったのです。この事実を側で見ていた私はスワミのヒーラの種を入れる新人伝法は凄いと直感したのです。
ただ手を当てて、マントラを唱えるだけで治す。それ以外の事は何も考えない。五十肩は脂切れで骨と骨がすり合う事によって痛みが発生し腫れる等は一切考えない。手を当ててマントラを唱えれば治る。だけであるのです。私たちが、ナガナンダ、スワミのアシュラムで修行していた時、私は毎日が暇で退屈なのと運動不足の解消に、部屋の前にある木の枝にぶら下がり運動をしていた。
その内、私の左腕が激痛を発生するようになり、やがて上がらなくなる。別に治す必要もないので放置していたら、夜、激痛で目が覚めるようになる。その時は、正観さんのヒーリングなど信じていないので、放置して置く。その時代は、ライフスペース事件がサイババアシュラムで起こっていた時だから、1999年頃だろう。ライフスペース事件とは、シャクティパットグルが率いる80人くらいがサイババアシュラムを訪問し、占拠しようとした事件であるが、当然、警備するアシュラム警察(州警察)に弾圧される。
その一行がナガナンダ、アシュラムに来ると言っていた時、滞在していたので時期は間違いない。このグルはおかしいが憎めないグルだったようだ。たまに動画を見るがとにかく面白い。おかしくなる前は、地元では評判の良い経営指導者で多くの嘆願書も出たようだ。一度動画を見て頂ければ、当時のインドにおける霊性修行の始まりが理解できるかも知れない。
その後、カレスワール、アシュラムに戻った私たちは、同室になり、夜、痛がる私を正観さんがヒーリングするようになるのであるが、当初、正観のヒーリングを信用していない私は断るのだが、やって頂くことになる。結果信用していない私の腕が一回のヒーリングで治ったのです。当時の私は五十肩のヒーリングというより気功治療で治す自信がなかった五十肩を1回で治したのです。
5分くらいして、どう〜と正観は尋ねる。治ってなるものかと思っている私は、全然駄目だという。おかしい〜なと言いながら更に続ける。10分経た頃だろうか?痛みは取れていた。それでも正観を見下している私は、まあ〜まあ〜だという。その後正常になり、痛むことはなかったが、正観に凄いとは言わない。なかったことの様に振る舞っていた。
医学を知れば知るほど混乱する。正観さんのように何も考えず、マントラを唱えながら手を当てれば治る。ここがポイントだろし、この心の持ち方を改善する事が出来れば凄い治療法だと直感した私は、メインのプログラムにすることになるのです。純粋無垢で神に向かう心が全てでありましょう。私の様に疑い深い、ドロドロの心の持つ者は、最初から大きなハンディキャップを背負いながらの修行の始まりとなるのです。潜在意識に刻まれた一切の無駄な知識を捨てて私(神)に向き合いなさい。これを完成させるために、ババは私を3人(スワミ・正観・ウッシー)にくっつけたのでしょう。
ある日外人を含む全員の前で、正観は世界一のヒーラーだとスワミは紹介した。そして、それを案内文の一部に書いた反響は、多くのプロ気功師や治療家は怪訝な振る舞いや態度を表してきた。私も同じく、多少ではあるが嫌悪感を持ったのだが、私たちが同居するドアの前には、連日外人の特に女性の順番待ちである。一部の女性は、正観さんにドネーションを渡そうとするが、正観は、余りうれしそうな顔をしない。
健ちゃん、僕なお金をもらうより、カップラーメンや食べ物のほうが嬉しいんや。1000円よりカップラーメン1個の方が嬉しいや。そしてある時は・・・アシュラムを訪れる多くの日本人が・・・・正観さん、正観さんといって食べ物の差し入れをしてくれる夢を見たという。これは暗示的に私にそのようにしてくれと言っているのだが、リーダー特権を使うべきでないと、聞いて聞かないふりをするが、一回だけ皆さんにお願いした時がある。
また、ある時、私は急にスワミの呼び出しを受け、食べかけたカップラーメンをそのままにし、部屋に戻った時は伸びきっていた。そのラーメンを何度も何度も覗き込み、もったいないな〜。もったいないな〜、こんな事を誰がするんかな〜と正観さんは言っていた。
この正観さんが世界一のヒーラーになったのです。というより、そのような正観さんだからこそ、世界一のヒーラーになれたのでしょう。スワミに知り合って新人伝法を授かって1〜2年後の事であります。それまでは、仏教寺(密教)の師匠の付き人しかしてない。治療に関しては素人の正観さんがなったのです。この事実を側で見ていた私はスワミのヒーラの種を入れる新人伝法は凄いと直感したのです。
ただ手を当てて、マントラを唱えるだけで治す。それ以外の事は何も考えない。五十肩は脂切れで骨と骨がすり合う事によって痛みが発生し腫れる等は一切考えない。手を当ててマントラを唱えれば治る。だけであるのです。私たちが、ナガナンダ、スワミのアシュラムで修行していた時、私は毎日が暇で退屈なのと運動不足の解消に、部屋の前にある木の枝にぶら下がり運動をしていた。
その内、私の左腕が激痛を発生するようになり、やがて上がらなくなる。別に治す必要もないので放置していたら、夜、激痛で目が覚めるようになる。その時は、正観さんのヒーリングなど信じていないので、放置して置く。その時代は、ライフスペース事件がサイババアシュラムで起こっていた時だから、1999年頃だろう。ライフスペース事件とは、シャクティパットグルが率いる80人くらいがサイババアシュラムを訪問し、占拠しようとした事件であるが、当然、警備するアシュラム警察(州警察)に弾圧される。
その一行がナガナンダ、アシュラムに来ると言っていた時、滞在していたので時期は間違いない。このグルはおかしいが憎めないグルだったようだ。たまに動画を見るがとにかく面白い。おかしくなる前は、地元では評判の良い経営指導者で多くの嘆願書も出たようだ。一度動画を見て頂ければ、当時のインドにおける霊性修行の始まりが理解できるかも知れない。
その後、カレスワール、アシュラムに戻った私たちは、同室になり、夜、痛がる私を正観さんがヒーリングするようになるのであるが、当初、正観のヒーリングを信用していない私は断るのだが、やって頂くことになる。結果信用していない私の腕が一回のヒーリングで治ったのです。当時の私は五十肩のヒーリングというより気功治療で治す自信がなかった五十肩を1回で治したのです。
5分くらいして、どう〜と正観は尋ねる。治ってなるものかと思っている私は、全然駄目だという。おかしい〜なと言いながら更に続ける。10分経た頃だろうか?痛みは取れていた。それでも正観を見下している私は、まあ〜まあ〜だという。その後正常になり、痛むことはなかったが、正観に凄いとは言わない。なかったことの様に振る舞っていた。
医学を知れば知るほど混乱する。正観さんのように何も考えず、マントラを唱えながら手を当てれば治る。ここがポイントだろし、この心の持ち方を改善する事が出来れば凄い治療法だと直感した私は、メインのプログラムにすることになるのです。純粋無垢で神に向かう心が全てでありましょう。私の様に疑い深い、ドロドロの心の持つ者は、最初から大きなハンディキャップを背負いながらの修行の始まりとなるのです。潜在意識に刻まれた一切の無駄な知識を捨てて私(神)に向き合いなさい。これを完成させるために、ババは私を3人(スワミ・正観・ウッシー)にくっつけたのでしょう。