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2022年06月13日 [聖者]
NO635・・・二人の女性
NO635・・・二人の女性
KENZOさん、初めて参加した若い女性がジーザステンプル(2F)で瞑想しているんですが、大丈夫でしょうか?と22時頃心配した生徒から報告を受ける。何!本当か?危険だ。アシュラムには若いインド人スタッフが何人か住み込みで働いてる。また、夜中にガーデンで奇声を発するいかれた外人も滞在している。何が起こるか分からない。早速3人で駆けつける事にしたが、正観は、健ちゃ〜ん、僕、眠たいけん2人で頼むわ。想定内なのでウッシーと2人で行くことになる。
50〜60人引率して1週間プログラムを順調に遂行させるには相当な体力がいるので、くたくたである。まして、その2か月前からは募集案内や飛行機のチケットの手配やらでてんてこ舞いである。そして成田や関空に集合してインドに向かう。私は地方空港からの出発であるので、空港の近くのホテルに前泊する必要がある。帰りは、同じく一泊しなければならない。このような経費も全て自分持ちである。
この経費をスワミに請求すればOKと言うであろうが、あえてそれはしない。プログラム費も同じく私たちも払っていた。私たちは、ババから与えられた使命を果たすセバ行を行っているので、当然と言えば当然であり、決してビジネスにしてはならないと思っていた。セバ行とは、見返りを期待しない無償の奉仕の事であるから、夜中でも働かなければならない。
傍から見れば、スワミに取り入って何か特別な事をして頂いていると思うであろうが、それを許さないスワミである事は誰も知らないであろう。今後、行われるプログラムのすべては実力で勝ち取って行くのである。それを理解できる人はいない。アシュラムの中は、嫉妬とひがみと妬みのエネルギーが渦巻いているのであります。その元を起こすのがスワミの手法である事を誰も知らない。
ウッシーと2人で2階に行き尋ねる。もう遅い時間なので部屋に戻って寝なさい。アシュラムの夜は静かである。「いいえ、私はスワミが来るまで待っています。」もう、スワミは来ないよ。」信じない。インタビューの時にジーザステンプルで20時から瞑想するように言われたそうだ。その時に、解決してあげると言われたとの事。それに期待し待っている。だが、私とウッシーは直感で来ないと断言できた。
多分、インタビューの時に深刻な複雑な難しいお願いごとをしたのであろう?大概の願い事は、すべてOKなのだが、本当に難しい場合でも決してNOとは言わない。聖者の口から出るすべてはエネルギーであり、そのエネルギーはサンカルパ(想念の力)となる。ゆえに、スワミがNOと言えば、エネルギーはNOの方向に動くのである。例えば、貴女の病気を治すことは出来ないと、言えば、そのような方向にエネルギーは動く、想念も動くのでOK出来ないスワミは、このような手法を使うのであります。
瞑想をさせて浄化させる以外方法がないし、自分で解決の方法を瞑想によって得ないさいという事なのです。私とウッシーは、彼女が気が付かないように、近くで朝までガードしたのであります。その後彼女が参加することはなかった。
スワミと私たちは、ガーデンのテーブルを囲み手紙を読んでいた。日本人の女性から送られてきた手紙である。・・・スワミ前回の行でガーデンの草むしりのセバを日本人グループに与えて頂き有難う御座いました。私はバラの花を見ながら、バラの花が輝くことを祈りながら草むしりを行いました。何と素晴らしい事でしょうか?バラの花が私に囁きかけるのです。あなたも、私の様に人々を癒すことが出来るようになりなさないと囁くのです。何と素晴らしい修行をさせて頂いたか、何とお礼を言ってよいか、スワミ有難う御座いました。
何の事は無いのです。スワミは私の働きに対しての不満の罰則として草むしりをさせたのです。私にブーイングを起こさせるために行った事は誰も知らない。このように、スワミに気に入られようとしてレポートを送っている女性が何人かいた。スワミがお願いしたのか?本人たちがラブレターとして送っているのかは知らないが、私たちの悪口も相当書かれていたが気にしない。私たちは、人間を相手にしているのでなく、ビッグボスであるババがどう判断するかだけであります。スワミがどのように意地悪しようが気にしない。人を見るな、神を見ることが修行と思っている。間違いだらけの人間のいう事を真に受けていては、この仕事(神に仕える)は出来ないのであります。
その本人と、スワミと私たちは同じくバラ園のテーブルに座っている。「貴女は、このバラの様にきれいで、明るく、見る人を癒す花の様になりたいのが、希望ですか?」この花は自分でそのようになったのではないのです。すべては神のなすがままに咲いているのです。多くの人に神を知って頂く為に、神の僕として使命を果たしているのです。すべては神の為です。それ以外の何もありません。貴女は、全てを神に捧げることができますか?
はい!一生懸命努力して、そのようになりたいと思います。そうさせて下さい。「分かりました。お金はありますか?」はい、少々ならありますと答える。「貯金通帳はありますか?」貯金通帳はありますが、ほとんど入っていません。「友達にお金持ちはいますか?」いいえ、いません。これがスワミの答えなのです。NOと言わないで答えを伝えているのですが、本人は気が付いていないのです。この時、スワミはイエスともノーとも言っていないのです。
私たちの悪口をネタにラブレターを書いている人に、神は祝福を与えるでしょうか?「人の振りを見て、我が振りを正せ」で、この人たちが行っているレポートは、私たちを蹴落とす行為で、自分がもっと、もっとスワミに愛されたい行為なのです。なら、ババやスワミは何を望んでいるか?を考えなくてはならないのです。私たちを蹴落とす行為は、スワミとババの構想を邪魔している事になるのです。ゆえに、私たちは、スワミからもババからも一回もお叱りを受けたことはありません。し、その人達に対する答えがバラ園で行われたのです。スワミを愛の対象にする人やスワミフアンクラブ(外人を含む多くの人)のような霊性修行を行う人には、厳しい罰則だったのかも知れません。摂氏40度以上の炎天下のバラ園の草むしり3時間の出来事でした。
KENZOさん、初めて参加した若い女性がジーザステンプル(2F)で瞑想しているんですが、大丈夫でしょうか?と22時頃心配した生徒から報告を受ける。何!本当か?危険だ。アシュラムには若いインド人スタッフが何人か住み込みで働いてる。また、夜中にガーデンで奇声を発するいかれた外人も滞在している。何が起こるか分からない。早速3人で駆けつける事にしたが、正観は、健ちゃ〜ん、僕、眠たいけん2人で頼むわ。想定内なのでウッシーと2人で行くことになる。
50〜60人引率して1週間プログラムを順調に遂行させるには相当な体力がいるので、くたくたである。まして、その2か月前からは募集案内や飛行機のチケットの手配やらでてんてこ舞いである。そして成田や関空に集合してインドに向かう。私は地方空港からの出発であるので、空港の近くのホテルに前泊する必要がある。帰りは、同じく一泊しなければならない。このような経費も全て自分持ちである。
この経費をスワミに請求すればOKと言うであろうが、あえてそれはしない。プログラム費も同じく私たちも払っていた。私たちは、ババから与えられた使命を果たすセバ行を行っているので、当然と言えば当然であり、決してビジネスにしてはならないと思っていた。セバ行とは、見返りを期待しない無償の奉仕の事であるから、夜中でも働かなければならない。
傍から見れば、スワミに取り入って何か特別な事をして頂いていると思うであろうが、それを許さないスワミである事は誰も知らないであろう。今後、行われるプログラムのすべては実力で勝ち取って行くのである。それを理解できる人はいない。アシュラムの中は、嫉妬とひがみと妬みのエネルギーが渦巻いているのであります。その元を起こすのがスワミの手法である事を誰も知らない。
ウッシーと2人で2階に行き尋ねる。もう遅い時間なので部屋に戻って寝なさい。アシュラムの夜は静かである。「いいえ、私はスワミが来るまで待っています。」もう、スワミは来ないよ。」信じない。インタビューの時にジーザステンプルで20時から瞑想するように言われたそうだ。その時に、解決してあげると言われたとの事。それに期待し待っている。だが、私とウッシーは直感で来ないと断言できた。
多分、インタビューの時に深刻な複雑な難しいお願いごとをしたのであろう?大概の願い事は、すべてOKなのだが、本当に難しい場合でも決してNOとは言わない。聖者の口から出るすべてはエネルギーであり、そのエネルギーはサンカルパ(想念の力)となる。ゆえに、スワミがNOと言えば、エネルギーはNOの方向に動くのである。例えば、貴女の病気を治すことは出来ないと、言えば、そのような方向にエネルギーは動く、想念も動くのでOK出来ないスワミは、このような手法を使うのであります。
瞑想をさせて浄化させる以外方法がないし、自分で解決の方法を瞑想によって得ないさいという事なのです。私とウッシーは、彼女が気が付かないように、近くで朝までガードしたのであります。その後彼女が参加することはなかった。
スワミと私たちは、ガーデンのテーブルを囲み手紙を読んでいた。日本人の女性から送られてきた手紙である。・・・スワミ前回の行でガーデンの草むしりのセバを日本人グループに与えて頂き有難う御座いました。私はバラの花を見ながら、バラの花が輝くことを祈りながら草むしりを行いました。何と素晴らしい事でしょうか?バラの花が私に囁きかけるのです。あなたも、私の様に人々を癒すことが出来るようになりなさないと囁くのです。何と素晴らしい修行をさせて頂いたか、何とお礼を言ってよいか、スワミ有難う御座いました。
何の事は無いのです。スワミは私の働きに対しての不満の罰則として草むしりをさせたのです。私にブーイングを起こさせるために行った事は誰も知らない。このように、スワミに気に入られようとしてレポートを送っている女性が何人かいた。スワミがお願いしたのか?本人たちがラブレターとして送っているのかは知らないが、私たちの悪口も相当書かれていたが気にしない。私たちは、人間を相手にしているのでなく、ビッグボスであるババがどう判断するかだけであります。スワミがどのように意地悪しようが気にしない。人を見るな、神を見ることが修行と思っている。間違いだらけの人間のいう事を真に受けていては、この仕事(神に仕える)は出来ないのであります。
その本人と、スワミと私たちは同じくバラ園のテーブルに座っている。「貴女は、このバラの様にきれいで、明るく、見る人を癒す花の様になりたいのが、希望ですか?」この花は自分でそのようになったのではないのです。すべては神のなすがままに咲いているのです。多くの人に神を知って頂く為に、神の僕として使命を果たしているのです。すべては神の為です。それ以外の何もありません。貴女は、全てを神に捧げることができますか?
はい!一生懸命努力して、そのようになりたいと思います。そうさせて下さい。「分かりました。お金はありますか?」はい、少々ならありますと答える。「貯金通帳はありますか?」貯金通帳はありますが、ほとんど入っていません。「友達にお金持ちはいますか?」いいえ、いません。これがスワミの答えなのです。NOと言わないで答えを伝えているのですが、本人は気が付いていないのです。この時、スワミはイエスともノーとも言っていないのです。
私たちの悪口をネタにラブレターを書いている人に、神は祝福を与えるでしょうか?「人の振りを見て、我が振りを正せ」で、この人たちが行っているレポートは、私たちを蹴落とす行為で、自分がもっと、もっとスワミに愛されたい行為なのです。なら、ババやスワミは何を望んでいるか?を考えなくてはならないのです。私たちを蹴落とす行為は、スワミとババの構想を邪魔している事になるのです。ゆえに、私たちは、スワミからもババからも一回もお叱りを受けたことはありません。し、その人達に対する答えがバラ園で行われたのです。スワミを愛の対象にする人やスワミフアンクラブ(外人を含む多くの人)のような霊性修行を行う人には、厳しい罰則だったのかも知れません。摂氏40度以上の炎天下のバラ園の草むしり3時間の出来事でした。