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2022年06月20日 [聖者]
NO649・・・スワミの決断
NO649・・・スワミの決断
年末までアシュラムに滞在し、成田着、上野のホテルに一泊し栃木県にある「氣の里」に向かい、年を越すのが毎年の恒例になっていた。「氣の里」は、合気道の大家である、藤平光一先生が主催する「心身統一合氣道」の本部道場である。その本部には「清心の池」があり、年始には全国から弟子が集まって来る。大学の合気道部や地区道場の弟子などでごった返す。
年末の24時前になると畳の道場に集まり、氣の音楽を聴きながら年を越すのである。私は、合氣道ではなく、藤平先生が氣を応用して編み出した「氣圧療法師」養成学校の在宅生であったので、年4回一回に5日行われるスクーリングに4年間出席しなければならない。この4年間はインドとの掛け持ちで本当に忙しい日々と出金であった。それに、スワミの仕事に社長業もやらなければならないので、普通の人には絶対真似が出来なかったであろう。それに家庭も守らなければならないのだ。
反面教師という言葉があるが、子供たちは、親と接触する時間がほとんどない生活をしていたのが嫌なのか?みんな家庭を持つと平凡なマイホーム型の飼養人間になっていた。幸いに人間の道を外す者はなく、平凡な面白みのない人生を送っているので、話にずれがあり、正月でも全員集まる事はない。父親は正月はいない事になっているのであろう。
「氣の里」では、全国のニュースに流れる正月恒例の心身の穢れを落とす儀式が行われる。真冬のマイナスの気温の中、周囲を軽くマラソンし真冬の池に入り心身を鍛える行事である。これは3日に行われる。女子大学生は、水着で男は海水パンツで入る。みんなキャーと喚いているが、私は竜神の滝や池で経験済みなのでなんてことはない。ここにも、天風先生の姪の有美さんのような、魂の出来上がった人を見かける事はなかった。
家に帰ると、早速仕事始めで、溜まった業務を一通り終わらせ、2月に行われるシバラトリ―祭の募集案内である。シバラトリ―祭はインドの各地でアートマリンガムを聖者が出す(本物は数名)恒例の大行事であるために、インドには多くの人が押し寄せる。アシュラムにも、日ごろ見たことのない外人も押し寄せる。その合間をぬって日本人だけのプログラムを実行しなければならないので、スワミも私たちも大変である。
外人の嫉妬を無視しながら、たんたんと行われていく。アートマリンガムは当然であるが、日本人1個外人1個を与えれることになった。日本人は3人の中の誰がもらったかは覚えてない。無事にプログラムが終わり、皆をバンガロールまで引率し買い物や食事や休憩をした空港まで引率しバイバイである。この時は、私が日本まで引率する必要はなかったので、アシュラムに戻る事が出来たというより、スワミの命令でアシュラムに引き返さなければならなかったのである。
アシュラムに着いた時、異様な空気が漂っていたので、何かが起こっている事は想像していたのだが、情報がまちまちで実態を掴めていなかったので、とにかくアシュラムに戻る事にした。アシュラムに戻り情報収取すると、どうも正月に鉄パイプ爆弾がアシュラムに投げ込まれたようだ。ガードマンが一人亡くなり、もう一人は手の親指が吹き飛ばされたとの事である。ガードマンはネパールのナイフを使わせたら世界一と言われている勇敢な部族の人々を雇っている。
アシュラムには6〜7人雇っており、深夜部外者の侵入がないように見回りをしている。当時イスラムの過激派が近くの地域に入り込んでおり、警戒が厳しかったのであるが、今回の事件は過激派は絡んでいないとの事である。亡くなったのは、私が可愛がっていた20代前後の若者であった。この青年は真面目そうな顔をしており、私の頼みごとを聞いてくれるので何かにつけて便利が良かった。
グループが来た時には、特に注意を払ってくれていた。ただグループを引率して来てプログラムだけを行うのではなく、常日頃から日本人の味方をしてくれるスタッフを育てなければスムーズに事は運ばないのである。当然プジャリにも賄賂を渡し、外人なら拒否されることも、日本人グループには許されていた。欧米人はインド人やネパール人などを上から目線なので、同じアジア人としては味方につけやすかったのである。この根回しが上手いので、正観は、私の事を商売人というのであろう。
2〜3日後にスワミの集合命令が伝達された。マンディールの入り口の階段に、外人の長期滞在者がすでに集まっていた。議題は今後どうするか?拒否するかどうかであった。事の真相は、急激に成長するアシュラムに対して、あるババ系列のビッグなお寺が圧力をかけてきているとの事である。まあ〜無理はないだろう?こちらはシルディーサイババ直系のシンボルになる聖地になるお寺(アシュラム)を建てているのである。
生まれ代わり派(シルディーサイババの生まれ変わりと名乗っている)から見れば、将来的に信者が奪われる危険を感じらせるほどの急成長をしているのである。もうすでに、日本人も外人も流れて来ていた。アシュラムのアパートも4階まで完成し、ペントハウスの工事にかかっている。生まれ代わりのアシュラムからスワミのアシュラムに向かうタクシーは逐次情報を流さなければならない。その内カレスワールアシュラムに行くことは禁じられるようになる。そのアシュラムの周辺は商店やホテルやタクシー会社など多数あり、一つの町が形成されているので、訪れる人が減れば死活問題となるまでに、スワミは恐怖を与えた事になる。その片棒が私たち3人組である。多くの人は、何故?神様は神様同士でいがみ合うのかと言うが、神様がやっているのではない。それを取り巻く人間がやっているのである。利権を求めた連中がババを利用しているのである。
ある時、その生まれ変わりアシュラムの街に行き、タクシーで帰っていると近くの村で降りてくれという。違うタクシーに乗り換えてくれという。なぜだ〜と怒ると、カレスワール、アシュラムに連れっていったら、その町から追い出されるという。そのような状況の中でも日本人は流れて来る。無理はないだろう。タクシーで1時間くらいだから、2〜3つのアシュラムの訪問もするであろう。
スワミは直接合わず、今日はバンガロールのホテルに向かい、明日違うタクシーで来いと告げていた。スワミの急成長に恐れをなした、生まれ変わり派はスワミに条件を飲むように迫っていた。2月は世界的な行事であるシバラトリー祭があるので3月末までの回答を迫っていた。トラスト(財団法人)にし、役員を入れろと、生まれ代わり聖者は高齢なので、定期的にエネルギーの補給に来るように迫れていた。
アシュラムには、州警察(アメリカではFBI)の立ち入り調査が頻繁に行われるようになる。滞在者の名簿のチェックなどは地元のローカル警察の仕事であるが、直接州警察がやって来るようになった。生まれ変わりアシュラムはトラストで州の管理下にあり、役人の天下り先でもある。その権力は州警察が握っていたのだろう。あからさまに仕掛けてくるようなった。狙いは私たち3人である。お金の出元を断ち切る目的である。
州警察が来たら外人の伝令が来て隠れろと言う。私たちは逃げる。どのルートで逃げるか話し合いをしたこともある。塀を飛び越えて逃げよう〜で、とウッシーと話していると、身の重い正観は暗い顔になる。ならアシュラムのどこかに隠れようとしたのだが、アパートまで探しに来ることはなかった。3月末に向かっての脅しであったのだろう。
コインの裏・表で決めるかとか、話し合っていた。軍門に下るか?独立独歩を貫き通すか?決断の時である。当時トラストにする計画で、私たちも理事の予定者に入っていたのだが、どうもそのトップを要求して来ていたのであろう?、若いスワミの腹は決まっていたように思う。余りの横暴さに話し合いの余地は無いと思っていたのであろう。結論は拒否することで決まった。
私は、ほとぼりが冷めるまでインドの各地を逃げ回るので、外人はアシュラムを出てハンピか何処かに身を隠せ。3人は、夜タクシーで移動してはならない。昼間移動しなさい。途中で立ちションしてはならない。別件でもなんでも警察署に連れて行かれたら終わりだ。今の私には助ける力はない。いいか?バンガロール空港にもお前たちの手配書は回されているだろう。この州以外の空港から日本に帰りなさい。
チェンナイ空港のトップは私の友人だからチェンナイ空港が良いだろう。3月末前に、私たちは逃避する事になったのです。タクシーでチェンナイに向かい。チェンナイから日本に無事帰り着くと、新たな闘志が湧くのでありました。よし、向こうがそうなら、日本にスワミを招致しようと考えたのです。それから急遽、湯布院アシュラムの建設に取り掛かったのであります。
年末までアシュラムに滞在し、成田着、上野のホテルに一泊し栃木県にある「氣の里」に向かい、年を越すのが毎年の恒例になっていた。「氣の里」は、合気道の大家である、藤平光一先生が主催する「心身統一合氣道」の本部道場である。その本部には「清心の池」があり、年始には全国から弟子が集まって来る。大学の合気道部や地区道場の弟子などでごった返す。
年末の24時前になると畳の道場に集まり、氣の音楽を聴きながら年を越すのである。私は、合氣道ではなく、藤平先生が氣を応用して編み出した「氣圧療法師」養成学校の在宅生であったので、年4回一回に5日行われるスクーリングに4年間出席しなければならない。この4年間はインドとの掛け持ちで本当に忙しい日々と出金であった。それに、スワミの仕事に社長業もやらなければならないので、普通の人には絶対真似が出来なかったであろう。それに家庭も守らなければならないのだ。
反面教師という言葉があるが、子供たちは、親と接触する時間がほとんどない生活をしていたのが嫌なのか?みんな家庭を持つと平凡なマイホーム型の飼養人間になっていた。幸いに人間の道を外す者はなく、平凡な面白みのない人生を送っているので、話にずれがあり、正月でも全員集まる事はない。父親は正月はいない事になっているのであろう。
「氣の里」では、全国のニュースに流れる正月恒例の心身の穢れを落とす儀式が行われる。真冬のマイナスの気温の中、周囲を軽くマラソンし真冬の池に入り心身を鍛える行事である。これは3日に行われる。女子大学生は、水着で男は海水パンツで入る。みんなキャーと喚いているが、私は竜神の滝や池で経験済みなのでなんてことはない。ここにも、天風先生の姪の有美さんのような、魂の出来上がった人を見かける事はなかった。
家に帰ると、早速仕事始めで、溜まった業務を一通り終わらせ、2月に行われるシバラトリ―祭の募集案内である。シバラトリ―祭はインドの各地でアートマリンガムを聖者が出す(本物は数名)恒例の大行事であるために、インドには多くの人が押し寄せる。アシュラムにも、日ごろ見たことのない外人も押し寄せる。その合間をぬって日本人だけのプログラムを実行しなければならないので、スワミも私たちも大変である。
外人の嫉妬を無視しながら、たんたんと行われていく。アートマリンガムは当然であるが、日本人1個外人1個を与えれることになった。日本人は3人の中の誰がもらったかは覚えてない。無事にプログラムが終わり、皆をバンガロールまで引率し買い物や食事や休憩をした空港まで引率しバイバイである。この時は、私が日本まで引率する必要はなかったので、アシュラムに戻る事が出来たというより、スワミの命令でアシュラムに引き返さなければならなかったのである。
アシュラムに着いた時、異様な空気が漂っていたので、何かが起こっている事は想像していたのだが、情報がまちまちで実態を掴めていなかったので、とにかくアシュラムに戻る事にした。アシュラムに戻り情報収取すると、どうも正月に鉄パイプ爆弾がアシュラムに投げ込まれたようだ。ガードマンが一人亡くなり、もう一人は手の親指が吹き飛ばされたとの事である。ガードマンはネパールのナイフを使わせたら世界一と言われている勇敢な部族の人々を雇っている。
アシュラムには6〜7人雇っており、深夜部外者の侵入がないように見回りをしている。当時イスラムの過激派が近くの地域に入り込んでおり、警戒が厳しかったのであるが、今回の事件は過激派は絡んでいないとの事である。亡くなったのは、私が可愛がっていた20代前後の若者であった。この青年は真面目そうな顔をしており、私の頼みごとを聞いてくれるので何かにつけて便利が良かった。
グループが来た時には、特に注意を払ってくれていた。ただグループを引率して来てプログラムだけを行うのではなく、常日頃から日本人の味方をしてくれるスタッフを育てなければスムーズに事は運ばないのである。当然プジャリにも賄賂を渡し、外人なら拒否されることも、日本人グループには許されていた。欧米人はインド人やネパール人などを上から目線なので、同じアジア人としては味方につけやすかったのである。この根回しが上手いので、正観は、私の事を商売人というのであろう。
2〜3日後にスワミの集合命令が伝達された。マンディールの入り口の階段に、外人の長期滞在者がすでに集まっていた。議題は今後どうするか?拒否するかどうかであった。事の真相は、急激に成長するアシュラムに対して、あるババ系列のビッグなお寺が圧力をかけてきているとの事である。まあ〜無理はないだろう?こちらはシルディーサイババ直系のシンボルになる聖地になるお寺(アシュラム)を建てているのである。
生まれ代わり派(シルディーサイババの生まれ変わりと名乗っている)から見れば、将来的に信者が奪われる危険を感じらせるほどの急成長をしているのである。もうすでに、日本人も外人も流れて来ていた。アシュラムのアパートも4階まで完成し、ペントハウスの工事にかかっている。生まれ代わりのアシュラムからスワミのアシュラムに向かうタクシーは逐次情報を流さなければならない。その内カレスワールアシュラムに行くことは禁じられるようになる。そのアシュラムの周辺は商店やホテルやタクシー会社など多数あり、一つの町が形成されているので、訪れる人が減れば死活問題となるまでに、スワミは恐怖を与えた事になる。その片棒が私たち3人組である。多くの人は、何故?神様は神様同士でいがみ合うのかと言うが、神様がやっているのではない。それを取り巻く人間がやっているのである。利権を求めた連中がババを利用しているのである。
ある時、その生まれ変わりアシュラムの街に行き、タクシーで帰っていると近くの村で降りてくれという。違うタクシーに乗り換えてくれという。なぜだ〜と怒ると、カレスワール、アシュラムに連れっていったら、その町から追い出されるという。そのような状況の中でも日本人は流れて来る。無理はないだろう。タクシーで1時間くらいだから、2〜3つのアシュラムの訪問もするであろう。
スワミは直接合わず、今日はバンガロールのホテルに向かい、明日違うタクシーで来いと告げていた。スワミの急成長に恐れをなした、生まれ変わり派はスワミに条件を飲むように迫っていた。2月は世界的な行事であるシバラトリー祭があるので3月末までの回答を迫っていた。トラスト(財団法人)にし、役員を入れろと、生まれ代わり聖者は高齢なので、定期的にエネルギーの補給に来るように迫れていた。
アシュラムには、州警察(アメリカではFBI)の立ち入り調査が頻繁に行われるようになる。滞在者の名簿のチェックなどは地元のローカル警察の仕事であるが、直接州警察がやって来るようになった。生まれ変わりアシュラムはトラストで州の管理下にあり、役人の天下り先でもある。その権力は州警察が握っていたのだろう。あからさまに仕掛けてくるようなった。狙いは私たち3人である。お金の出元を断ち切る目的である。
州警察が来たら外人の伝令が来て隠れろと言う。私たちは逃げる。どのルートで逃げるか話し合いをしたこともある。塀を飛び越えて逃げよう〜で、とウッシーと話していると、身の重い正観は暗い顔になる。ならアシュラムのどこかに隠れようとしたのだが、アパートまで探しに来ることはなかった。3月末に向かっての脅しであったのだろう。
コインの裏・表で決めるかとか、話し合っていた。軍門に下るか?独立独歩を貫き通すか?決断の時である。当時トラストにする計画で、私たちも理事の予定者に入っていたのだが、どうもそのトップを要求して来ていたのであろう?、若いスワミの腹は決まっていたように思う。余りの横暴さに話し合いの余地は無いと思っていたのであろう。結論は拒否することで決まった。
私は、ほとぼりが冷めるまでインドの各地を逃げ回るので、外人はアシュラムを出てハンピか何処かに身を隠せ。3人は、夜タクシーで移動してはならない。昼間移動しなさい。途中で立ちションしてはならない。別件でもなんでも警察署に連れて行かれたら終わりだ。今の私には助ける力はない。いいか?バンガロール空港にもお前たちの手配書は回されているだろう。この州以外の空港から日本に帰りなさい。
チェンナイ空港のトップは私の友人だからチェンナイ空港が良いだろう。3月末前に、私たちは逃避する事になったのです。タクシーでチェンナイに向かい。チェンナイから日本に無事帰り着くと、新たな闘志が湧くのでありました。よし、向こうがそうなら、日本にスワミを招致しようと考えたのです。それから急遽、湯布院アシュラムの建設に取り掛かったのであります。