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2022年07月05日 [聖者]
NO654・・・プログラム受講の意味
NO654・・・プログラム受講の意味
2022-06-23 | 聖者
人間に生まれた最大の目的は、神(大宇宙の一員)になる事である。なる方法には、師匠について学ぶ方法と、自分で本などを参考にしてなる方法と、何もしないでなる方法があるので、あるが、これには大きく時間と関係して来る。何もしないでも、いずれは神になれるのであるが、当方もない時間を要する。要すると言っても、最初はみんな同じで、どうしても神を信じることが出来ない。というより、動物の本能を持って生まれて来ているので、神など知るゆえもない。
自分の欲しいものがあれば力で奪う本能のままに生きていく。人間の成り立ちは、最初は鉱物に生まれ、鉱物の中に潜む微生物とアミノ酸の力によって、鉱物は分解され、やがて大地になり、その大地に植物が生まれ、植物の力において動物が生まれる。この鉱物・植物・動物には神性(神の魂が宿っている=万物には仏性あり)があるのであるが、まだ未熟ゆえに自分が生きるのに精一杯である。それが時と共に進化し高等な能力を持つ動物に進化して行く。
高等な動物は、人を愛する心を持つ動物の事であり、最初に我が子を外敵から守る愛情が育っていく。その愛情は親子兄弟親戚へと広がって行き、やがては集団が形成されていく。この集団が大きくなり、集団の結束において愛情が更に大きくなる。が、この中でも、思想はバラバラで、油断をすると仲間からも奪おうとする者が出てくる。それを束ねようとする高度な意識を持つものが生まれ、規則や道徳というものが生まれ、自分たちの力ではどうすることが出来ない虚しさを知る者は、何かに動かされていることを知り、神の存在に気が付く。
ここまで、エネルギーが進化するには何億年という月日が必要であり、神という存在を少しでも理解できるものは、人間の魂になって行くのであるが、同じ人間でも進化の過程であり、動物本能が強いものは神を否定しながら進化して行く。人間界は、この集団であるから、当然神を否定する者がいても不思議ではないが、何万年か過ごす間にその人も神の存在を知る事になる。
そして、その中の少数から神を求める者が現れてくる。私たちも、遠い前世では、神を否定して生きてきたのであるから、神を否定する人にも、優しく接しなければならない。自分の前世の姿だと思いださなければならない。親子兄弟でも魂は別なので、神の事で喧嘩になる事がしばしばある。違う魂の者同士が結婚をし、離婚に至る原因において宗教観の違いが多々ある。
特に外人に多く、アシュラムのアメリカ人スタッフに聞いたことがある。あなたは何故?離婚してここにいるのだと聞いたら、私の方が魂が進化したから、進化が止まっている旦那と意見が合わず離婚したという。これも当然ありうるだろう。この神をはさんでする議論は永遠に平行線で交わる事は無いので、仕方ない事である。神をもっと知りたいと思ってインドに渡る事になったのであろうが、その彼女も、そこで止まっている。
アシュラムを訪れる多くの外人の窓口になり、世話をしているのであるが、スタッフであり、修行僧ではない。人の為に尽くしているので、菩薩行に見えるが菩薩行ではない。スタッフという名の事務員で給料を頂いていると聞いたことがある。一か月6万円の給料と聞いたことがある。菩薩行とは、見返りを求めない無償の奉仕であるから、該当しない。
この無償で行う菩薩行が神に至る一番の近道で、その道を求めるには53段の急な坂(東海道53次)を上るのと同じだと言われている。いろいろの障害を乗り越え、53段階を目指さなければならない。その為には、道案内人が必要な様に、その道を歩いて神の世界にたどり着いた人の道案内が必要となる。この道案内をして頂ける人が師匠で師匠を持たない修行は、途方もない時間がかかると言われているが、いつかは神の世界にたどり着くことは出来る。なぜなら、人間に生まれた目的は神になるのが最終目的であるからだ。
師匠を持たないで、自力で修行する人は、途方もなく苦難の連続の道をたどって53番目の菩薩の最高位を目指さなければならない。その間には死後50年間墓場の中で暮らし、やがて微生物の力で水になり、その水は蒸発し雲となり、また、冷やされ水になり大地に注がれ、海の水になる。を繰り返さなければならない。ゆえに自分の事を自(みずか)らと呼ぶ。また香典袋の紐は黒と白で結ばれており、水引きと呼ぶ。更に人間の自然死は引き潮と共に息を引き取る。水に引かれて息が絶える。これを何千回も繰り返しながら、菩薩の最高位に至るのである。
菩薩の53段回目(宇宙の塵)に至った者は、雲の上の段階にいるので、水になって再び大地に落ちる事はない。ここで見返りのない慈悲の心を地球という惑星に住む人々に送り続けるのである。次に地球が生まれ変わる時に、塵の集団の中心に安住する神になるのである。気が遠くなるような時間が必要なので、人間の一生は、神の瞬きの一回の時間であると言われている。その刹那の時間をああでもない、こうでもないと、永遠に続くと思う錯覚の世界で悩み暮らしている。
ゆえに霊性修行の国インドの人々は、刹那(せつな)の時間の「今」を大事に生きてるのです。朝は紅顔でも、夕には、死体となって焼かれている煙になっているかも知れないと仏教では教えているのです。他力で行くか、自力で目指すかは、その人の魂レベルが決める事なので、その時期が来るまでは自力で頑張り「法」というものの存在が分かった人がプログラムを受講し、人々の為に愛情を注げる菩薩様になればと良い、と思うのが目的でプログラムを考え実行したので、高い安いと思う人がいても何ら矛盾はしていないと割り切り、スワミと私たちは、前に進み続けたのです。雲を一気に突破し、53番目の菩薩の一員に至るプログラムを組んで実行したのです。参考にしてください。:満月行
2022-06-23 | 聖者
人間に生まれた最大の目的は、神(大宇宙の一員)になる事である。なる方法には、師匠について学ぶ方法と、自分で本などを参考にしてなる方法と、何もしないでなる方法があるので、あるが、これには大きく時間と関係して来る。何もしないでも、いずれは神になれるのであるが、当方もない時間を要する。要すると言っても、最初はみんな同じで、どうしても神を信じることが出来ない。というより、動物の本能を持って生まれて来ているので、神など知るゆえもない。
自分の欲しいものがあれば力で奪う本能のままに生きていく。人間の成り立ちは、最初は鉱物に生まれ、鉱物の中に潜む微生物とアミノ酸の力によって、鉱物は分解され、やがて大地になり、その大地に植物が生まれ、植物の力において動物が生まれる。この鉱物・植物・動物には神性(神の魂が宿っている=万物には仏性あり)があるのであるが、まだ未熟ゆえに自分が生きるのに精一杯である。それが時と共に進化し高等な能力を持つ動物に進化して行く。
高等な動物は、人を愛する心を持つ動物の事であり、最初に我が子を外敵から守る愛情が育っていく。その愛情は親子兄弟親戚へと広がって行き、やがては集団が形成されていく。この集団が大きくなり、集団の結束において愛情が更に大きくなる。が、この中でも、思想はバラバラで、油断をすると仲間からも奪おうとする者が出てくる。それを束ねようとする高度な意識を持つものが生まれ、規則や道徳というものが生まれ、自分たちの力ではどうすることが出来ない虚しさを知る者は、何かに動かされていることを知り、神の存在に気が付く。
ここまで、エネルギーが進化するには何億年という月日が必要であり、神という存在を少しでも理解できるものは、人間の魂になって行くのであるが、同じ人間でも進化の過程であり、動物本能が強いものは神を否定しながら進化して行く。人間界は、この集団であるから、当然神を否定する者がいても不思議ではないが、何万年か過ごす間にその人も神の存在を知る事になる。
そして、その中の少数から神を求める者が現れてくる。私たちも、遠い前世では、神を否定して生きてきたのであるから、神を否定する人にも、優しく接しなければならない。自分の前世の姿だと思いださなければならない。親子兄弟でも魂は別なので、神の事で喧嘩になる事がしばしばある。違う魂の者同士が結婚をし、離婚に至る原因において宗教観の違いが多々ある。
特に外人に多く、アシュラムのアメリカ人スタッフに聞いたことがある。あなたは何故?離婚してここにいるのだと聞いたら、私の方が魂が進化したから、進化が止まっている旦那と意見が合わず離婚したという。これも当然ありうるだろう。この神をはさんでする議論は永遠に平行線で交わる事は無いので、仕方ない事である。神をもっと知りたいと思ってインドに渡る事になったのであろうが、その彼女も、そこで止まっている。
アシュラムを訪れる多くの外人の窓口になり、世話をしているのであるが、スタッフであり、修行僧ではない。人の為に尽くしているので、菩薩行に見えるが菩薩行ではない。スタッフという名の事務員で給料を頂いていると聞いたことがある。一か月6万円の給料と聞いたことがある。菩薩行とは、見返りを求めない無償の奉仕であるから、該当しない。
この無償で行う菩薩行が神に至る一番の近道で、その道を求めるには53段の急な坂(東海道53次)を上るのと同じだと言われている。いろいろの障害を乗り越え、53段階を目指さなければならない。その為には、道案内人が必要な様に、その道を歩いて神の世界にたどり着いた人の道案内が必要となる。この道案内をして頂ける人が師匠で師匠を持たない修行は、途方もない時間がかかると言われているが、いつかは神の世界にたどり着くことは出来る。なぜなら、人間に生まれた目的は神になるのが最終目的であるからだ。
師匠を持たないで、自力で修行する人は、途方もなく苦難の連続の道をたどって53番目の菩薩の最高位を目指さなければならない。その間には死後50年間墓場の中で暮らし、やがて微生物の力で水になり、その水は蒸発し雲となり、また、冷やされ水になり大地に注がれ、海の水になる。を繰り返さなければならない。ゆえに自分の事を自(みずか)らと呼ぶ。また香典袋の紐は黒と白で結ばれており、水引きと呼ぶ。更に人間の自然死は引き潮と共に息を引き取る。水に引かれて息が絶える。これを何千回も繰り返しながら、菩薩の最高位に至るのである。
菩薩の53段回目(宇宙の塵)に至った者は、雲の上の段階にいるので、水になって再び大地に落ちる事はない。ここで見返りのない慈悲の心を地球という惑星に住む人々に送り続けるのである。次に地球が生まれ変わる時に、塵の集団の中心に安住する神になるのである。気が遠くなるような時間が必要なので、人間の一生は、神の瞬きの一回の時間であると言われている。その刹那の時間をああでもない、こうでもないと、永遠に続くと思う錯覚の世界で悩み暮らしている。
ゆえに霊性修行の国インドの人々は、刹那(せつな)の時間の「今」を大事に生きてるのです。朝は紅顔でも、夕には、死体となって焼かれている煙になっているかも知れないと仏教では教えているのです。他力で行くか、自力で目指すかは、その人の魂レベルが決める事なので、その時期が来るまでは自力で頑張り「法」というものの存在が分かった人がプログラムを受講し、人々の為に愛情を注げる菩薩様になればと良い、と思うのが目的でプログラムを考え実行したので、高い安いと思う人がいても何ら矛盾はしていないと割り切り、スワミと私たちは、前に進み続けたのです。雲を一気に突破し、53番目の菩薩の一員に至るプログラムを組んで実行したのです。参考にしてください。:満月行