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2022年07月05日 [聖者]
NO663・・・スワミの結婚
NO663・・・スワミの結婚
2022-07-02 | 悟り
スワミの弟の死後、アシュラムにスワミのご両親が頻繁に来るようになっていた。何か深刻な話があっているようでスワミもご両親も顔が険しい。後から聞いた話であるが、ご両親は、スワミに聖者を辞めるように迫っていたそうだ。私の大事な息子をお前は死に追いやった。弟を守る事もできない者は聖者失格である。即刻に辞めよと言うような話であったようだ・
それが1か月くらい続いたある日スワミから相談があった。KENZO「私は結婚しなければならない状況だが、お前は賛成して頂けるだろうか?」との話であった。インドの聖者で結婚した者はない。これは伝統で引き継がれているのでシルディのババも当然結婚はしていない。私たちには、知る事さえ理解が難しいエネルギーの法則が存在しているのであろう。
結婚するという事は、聖者を廃業することを意味している。そこで、結婚しても、今まで通り、私の補佐をして頂けるかとの相談であったのだろう。事情を知っている私は、反対することもできなく、OKと言った。「大丈夫です。今まで通り何も変わることなくやりましょう。」と答えた。インドの風習では恋愛結婚という事はない。若い男女が手をつないでデートすることもない。手をつないでいるのは、男のペアーである。夜ガーデンの石の上で寝る男のスタッフは、仲の良い者同士が隣で手を握り合って寝ている。
そんなインドの結婚は、親が有名なホロスコープ占い師に頼んで嫁を探す。ひどい時は、結婚式の日まで相手を知らないという。ヒマラヤで修行していた時、3番目の弟は怒っていた。兄貴たちは、知っているのに反対もせず結婚させたと怒っていた。その嫁さんは、少し太めの嫁さんであった。正確に言うと可成り太めの嫁さんであった。
その当時、スワミダルシャンやプログラムの通訳はウッシーから帰国子女に変わっていた。この女性は、早くからスワミの弟子になっていたのだが、本人の希望する通訳のセバは出来ず。ウッシーがやっていた。ウッシーも疲れが溜まったのか、通訳を降りたいというので、スワミに打診するが許可が下りない。まだ、様子見だと言って許可が出なかったが、その内自然に彼女に変わる事になった。プロの翻訳家であったので無難にセバを行い、充実したプログラムを実行することが出来ていた。が、後半になると、この時のセバをやらせて欲しいから、やってやっているに変わって来る。
スワミの結婚という節目からすべてが変わって来ていた。特に英語圏と日本の英語が出来る人達が接触するようになると、ビジネスという言葉が出るようなってきた。勘ぐるのだが、スワミは結婚を機会に、いずれは聖者を辞め企業家になって行くのではないかとの懸念が生まれてくるようになった。これが、終焉を迎える時、私が嫌気をした原因になるのであるが、まだ入り口であった。そして、目出度く結婚を迎え娘を授かる事になる。そして、日本では、東京公演が計画されていた。この準備に高円寺の母とそのグループの男女十数名がセバ行に燃えていた。
その中の一人の慶応大学卒の若い女性は、スワミのセバの為に、有名企業を退職し、フリーターになり、いつでもスワミのセバが出来る体制を整えていた。見返りを期待しないセバを積極的に喜んでやって頂ける体制を整えていた。他の男女も同じように体制は出来つつあった。それがビジネスに巻き込まれ、迷惑をかける結果が待っていることを読み取れなかった。自分の事なら何も問題はないのであるが、東京のセバの方々に申し訳なかったと今でも悔やんでいるが、私の霊性修行は、あくまでもセバでやるべきだと思っていたので、スワミの提案には最後まで抵抗を続けたのです。ビジネスの片棒を担ぐなら、即、辞めると決断の時期が迫っていたのです。
2022-07-02 | 悟り
スワミの弟の死後、アシュラムにスワミのご両親が頻繁に来るようになっていた。何か深刻な話があっているようでスワミもご両親も顔が険しい。後から聞いた話であるが、ご両親は、スワミに聖者を辞めるように迫っていたそうだ。私の大事な息子をお前は死に追いやった。弟を守る事もできない者は聖者失格である。即刻に辞めよと言うような話であったようだ・
それが1か月くらい続いたある日スワミから相談があった。KENZO「私は結婚しなければならない状況だが、お前は賛成して頂けるだろうか?」との話であった。インドの聖者で結婚した者はない。これは伝統で引き継がれているのでシルディのババも当然結婚はしていない。私たちには、知る事さえ理解が難しいエネルギーの法則が存在しているのであろう。
結婚するという事は、聖者を廃業することを意味している。そこで、結婚しても、今まで通り、私の補佐をして頂けるかとの相談であったのだろう。事情を知っている私は、反対することもできなく、OKと言った。「大丈夫です。今まで通り何も変わることなくやりましょう。」と答えた。インドの風習では恋愛結婚という事はない。若い男女が手をつないでデートすることもない。手をつないでいるのは、男のペアーである。夜ガーデンの石の上で寝る男のスタッフは、仲の良い者同士が隣で手を握り合って寝ている。
そんなインドの結婚は、親が有名なホロスコープ占い師に頼んで嫁を探す。ひどい時は、結婚式の日まで相手を知らないという。ヒマラヤで修行していた時、3番目の弟は怒っていた。兄貴たちは、知っているのに反対もせず結婚させたと怒っていた。その嫁さんは、少し太めの嫁さんであった。正確に言うと可成り太めの嫁さんであった。
その当時、スワミダルシャンやプログラムの通訳はウッシーから帰国子女に変わっていた。この女性は、早くからスワミの弟子になっていたのだが、本人の希望する通訳のセバは出来ず。ウッシーがやっていた。ウッシーも疲れが溜まったのか、通訳を降りたいというので、スワミに打診するが許可が下りない。まだ、様子見だと言って許可が出なかったが、その内自然に彼女に変わる事になった。プロの翻訳家であったので無難にセバを行い、充実したプログラムを実行することが出来ていた。が、後半になると、この時のセバをやらせて欲しいから、やってやっているに変わって来る。
スワミの結婚という節目からすべてが変わって来ていた。特に英語圏と日本の英語が出来る人達が接触するようになると、ビジネスという言葉が出るようなってきた。勘ぐるのだが、スワミは結婚を機会に、いずれは聖者を辞め企業家になって行くのではないかとの懸念が生まれてくるようになった。これが、終焉を迎える時、私が嫌気をした原因になるのであるが、まだ入り口であった。そして、目出度く結婚を迎え娘を授かる事になる。そして、日本では、東京公演が計画されていた。この準備に高円寺の母とそのグループの男女十数名がセバ行に燃えていた。
その中の一人の慶応大学卒の若い女性は、スワミのセバの為に、有名企業を退職し、フリーターになり、いつでもスワミのセバが出来る体制を整えていた。見返りを期待しないセバを積極的に喜んでやって頂ける体制を整えていた。他の男女も同じように体制は出来つつあった。それがビジネスに巻き込まれ、迷惑をかける結果が待っていることを読み取れなかった。自分の事なら何も問題はないのであるが、東京のセバの方々に申し訳なかったと今でも悔やんでいるが、私の霊性修行は、あくまでもセバでやるべきだと思っていたので、スワミの提案には最後まで抵抗を続けたのです。ビジネスの片棒を担ぐなら、即、辞めると決断の時期が迫っていたのです。