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2022年08月29日 [シルディーサイババ]
NO717・・・スワミの教え基礎編10
NO717・・・スワミの教え基礎編10
2022-08-20 | シルディ・サイババ
この創造の中で私が変革を試みている事、それは人々のマスターに対する関わり方です。人々はマスターに友人として関わるようになるでしょう。スワミを常に偉大な人物として見るのをやめて下さい。確かにあるレベルでは、先生に対して全託する必要があります。
しかしあなたが私に全託して、私は貴方を友人として扱い、あなたと冗談を言い合うでしょう。あなたが全託しようとしまいあが、構わないのです。私が幸せなのは、あなたが本当に成功したときです。それが私の身勝手です。
この項終わり!
■瞑想の感想とご質問を頂きました。
Q:色々とマントラについての質問が来ていて、ブログを見て参考になっています。そこで質問ですが、マントラを唱える際は、なるべく思念を持たないで、唱えるべきか。何かをイメージしながら唱える方が良いのでしょうか。
思念を無くして音に集中する方が良いのか。音をも忘れて無念で唱えるのか。右手にお地蔵さんを持って唱える方法がありますが、お地蔵さんを意識するのか、大地にディチャージする事を意識するのか。
マントラを長く唱えると、唱えていること自体の意識が遠くなります。途中雑念が出たり消えたりします。雑念には意図していない自身の声であったり、ビジョンであったりします。そしてそれらは、放っておけば消えます。
神に任せるなら、唱えている事自体が神が見ていると思うので、イメージや思念は無くても良いと思いますが、間違いでしょうか。ただ、神は常日頃から縁ある人間を見ていると思いますので、自分がその神を愛しているのかは、とても大切な事で、マッチングするかは、人間側の心次第で、それはマントラを唱えている時に限った思いではないかと思います。
A:スワミは、マントラヨーガの実践者でしたが、私たちが行っている結跏趺坐の姿勢で瞑想しなさいとか、仙骨を立てなさいとか、目は半眼にしなさいとかの教えは全くありませんでした。本人も2階のジーザステンプルで瞑想していた時は、ベッドに寝そべって行っていました。これが他の聖者との大きな違いであり、マントラそのものに力がある事を教えていたのです。
そして、もう一つの教えは、楽な気持ちで心地よい瞑想が出来るようなれば、眠たくなります。それを無理することなく、そのまま自然に任せて眠れば、続きは魂が行うという事でした。これらから考えて分かる事は、形から入る瞑想法は、無になりにくいという事です。この姿勢で間違いないのか、ああ〜姿勢が壊れたどうしよう。おっと意識が飛びそうだ。など人を気にした瞑想法に陥っているのです。
お地蔵さんが、落ちようが気にすることはありません。気にする瞑想は瞑想でないという事になります。最初は基本を守り、身体が完全にリラックスして来たらすべてを自然に任せたら良いのです。足を投げ出したくなれば、投げ出せば良いのです。以前書きましたが、ウッシーはスワミにガネーシャのアートマリンガムを物質化して頂きました。このアートマリンガムは一年後に大きくなる物でした。当時のウッシーの心境では、地球上で最高の贈り物だったでありましょう。この大事な大事な宝物をウッシーは瞑想中に床に落としたのです。インドの床は大理石が張られていますので、一部に傷が入ったのです。神の魂を床に落としたのですから、それも傷つけたのですから、誰にも言う事が出来ず一年が経ちました。
そしてスワミが握って息をかけたら一回り大きなリンガムになっていました。「ウッシー、スワミが違うのと入れ替えたマジックだよ」と私がウッシーに言うと「kENZOさん違うんですよ。同じものが大きくなったのですよ」その時瞑想中に落とし、傷が入った事を打ち明けたのです。同じところに同じ傷があるんですよ〜
これが答えと思うのですが、無になるとはあなたが一番大事なもの(親の形見とか)を持って瞑想する時、それを落としてはならないと思って瞑想すると意識はそちらに行くという事になります。ですので、全てを為すがままに受け入れる訓練が日常から必要と思います。あなたが突然会社を首になっても、抵抗せず受け入れ、すべてを神に任せる心を養う事によって可能になると思います。お地蔵さんが落ちれば落ちたで何も問題はありません。失くしたり、人に差し上げたら新しいのを買えば良いだけです。それを気にすることが無くなれば、神がお金を回してくれます。本当です。執着しないという事がいかに大事かを学んでください。
私がスワミに頂いた貴重なグッズの殆どは、今は手元にありません。インドの文化財のパームリーフブックも手放しました。しかし、次から次に人々を救済するための物とお金と知識が与えられます。もし、今持っている宝物が一生で永遠に一番と思っていたら、次は入らないでしょうね。なぜなら、あなたが一番大事でこれ以上のものは無いと潜在意識に刻んだのですから、神はその通りに動かざるを得ないからです。会社を首になっても、神がもっといい会社を与えてくれると思う人には、そのようになります。つまり、全ての結果は自分が想像力で創っているのです。が、天狗になってはなりません。常に謙虚に神に向かう事が大事なのです。神は偉大です。あなたが思う事を現実化してくれるのですから、偉大です。しかし全てを神に任せ、努力なしでは実現はしませんよ。
ウッシーが落としたことはスワミは百も承知だったでしょうが、お咎めも注意もありませんでした。正しい瞑想を行ったから大きくなったのです。これがいい加減だったら大きくならなかったでしょう。人を気にせず自分にとって一番行いやすい瞑想法を確立して下さい。私は基本は教えますが、それに従えとは一度も言った事はありません。プージャ中にコックリコックリする人もいますが、素晴らしい瞑想だと思っています。マントラだけはしっかり唱え、続きは魂に引き継いで頂ける瞑想法を確立して下さい。マントラを唱える時間を競うのではなく、内容なのです。
2022-08-20 | シルディ・サイババ
この創造の中で私が変革を試みている事、それは人々のマスターに対する関わり方です。人々はマスターに友人として関わるようになるでしょう。スワミを常に偉大な人物として見るのをやめて下さい。確かにあるレベルでは、先生に対して全託する必要があります。
しかしあなたが私に全託して、私は貴方を友人として扱い、あなたと冗談を言い合うでしょう。あなたが全託しようとしまいあが、構わないのです。私が幸せなのは、あなたが本当に成功したときです。それが私の身勝手です。
この項終わり!
■瞑想の感想とご質問を頂きました。
Q:色々とマントラについての質問が来ていて、ブログを見て参考になっています。そこで質問ですが、マントラを唱える際は、なるべく思念を持たないで、唱えるべきか。何かをイメージしながら唱える方が良いのでしょうか。
思念を無くして音に集中する方が良いのか。音をも忘れて無念で唱えるのか。右手にお地蔵さんを持って唱える方法がありますが、お地蔵さんを意識するのか、大地にディチャージする事を意識するのか。
マントラを長く唱えると、唱えていること自体の意識が遠くなります。途中雑念が出たり消えたりします。雑念には意図していない自身の声であったり、ビジョンであったりします。そしてそれらは、放っておけば消えます。
神に任せるなら、唱えている事自体が神が見ていると思うので、イメージや思念は無くても良いと思いますが、間違いでしょうか。ただ、神は常日頃から縁ある人間を見ていると思いますので、自分がその神を愛しているのかは、とても大切な事で、マッチングするかは、人間側の心次第で、それはマントラを唱えている時に限った思いではないかと思います。
A:スワミは、マントラヨーガの実践者でしたが、私たちが行っている結跏趺坐の姿勢で瞑想しなさいとか、仙骨を立てなさいとか、目は半眼にしなさいとかの教えは全くありませんでした。本人も2階のジーザステンプルで瞑想していた時は、ベッドに寝そべって行っていました。これが他の聖者との大きな違いであり、マントラそのものに力がある事を教えていたのです。
そして、もう一つの教えは、楽な気持ちで心地よい瞑想が出来るようなれば、眠たくなります。それを無理することなく、そのまま自然に任せて眠れば、続きは魂が行うという事でした。これらから考えて分かる事は、形から入る瞑想法は、無になりにくいという事です。この姿勢で間違いないのか、ああ〜姿勢が壊れたどうしよう。おっと意識が飛びそうだ。など人を気にした瞑想法に陥っているのです。
お地蔵さんが、落ちようが気にすることはありません。気にする瞑想は瞑想でないという事になります。最初は基本を守り、身体が完全にリラックスして来たらすべてを自然に任せたら良いのです。足を投げ出したくなれば、投げ出せば良いのです。以前書きましたが、ウッシーはスワミにガネーシャのアートマリンガムを物質化して頂きました。このアートマリンガムは一年後に大きくなる物でした。当時のウッシーの心境では、地球上で最高の贈り物だったでありましょう。この大事な大事な宝物をウッシーは瞑想中に床に落としたのです。インドの床は大理石が張られていますので、一部に傷が入ったのです。神の魂を床に落としたのですから、それも傷つけたのですから、誰にも言う事が出来ず一年が経ちました。
そしてスワミが握って息をかけたら一回り大きなリンガムになっていました。「ウッシー、スワミが違うのと入れ替えたマジックだよ」と私がウッシーに言うと「kENZOさん違うんですよ。同じものが大きくなったのですよ」その時瞑想中に落とし、傷が入った事を打ち明けたのです。同じところに同じ傷があるんですよ〜
これが答えと思うのですが、無になるとはあなたが一番大事なもの(親の形見とか)を持って瞑想する時、それを落としてはならないと思って瞑想すると意識はそちらに行くという事になります。ですので、全てを為すがままに受け入れる訓練が日常から必要と思います。あなたが突然会社を首になっても、抵抗せず受け入れ、すべてを神に任せる心を養う事によって可能になると思います。お地蔵さんが落ちれば落ちたで何も問題はありません。失くしたり、人に差し上げたら新しいのを買えば良いだけです。それを気にすることが無くなれば、神がお金を回してくれます。本当です。執着しないという事がいかに大事かを学んでください。
私がスワミに頂いた貴重なグッズの殆どは、今は手元にありません。インドの文化財のパームリーフブックも手放しました。しかし、次から次に人々を救済するための物とお金と知識が与えられます。もし、今持っている宝物が一生で永遠に一番と思っていたら、次は入らないでしょうね。なぜなら、あなたが一番大事でこれ以上のものは無いと潜在意識に刻んだのですから、神はその通りに動かざるを得ないからです。会社を首になっても、神がもっといい会社を与えてくれると思う人には、そのようになります。つまり、全ての結果は自分が想像力で創っているのです。が、天狗になってはなりません。常に謙虚に神に向かう事が大事なのです。神は偉大です。あなたが思う事を現実化してくれるのですから、偉大です。しかし全てを神に任せ、努力なしでは実現はしませんよ。
ウッシーが落としたことはスワミは百も承知だったでしょうが、お咎めも注意もありませんでした。正しい瞑想を行ったから大きくなったのです。これがいい加減だったら大きくならなかったでしょう。人を気にせず自分にとって一番行いやすい瞑想法を確立して下さい。私は基本は教えますが、それに従えとは一度も言った事はありません。プージャ中にコックリコックリする人もいますが、素晴らしい瞑想だと思っています。マントラだけはしっかり唱え、続きは魂に引き継いで頂ける瞑想法を確立して下さい。マントラを唱える時間を競うのではなく、内容なのです。